在留外国人と日本人のトラブルが急激にクローズアップされている。しかし、ノンフィクション作家の八木澤高明氏によれば「日本人との成熟した関係を築いている街も少なくない」という。

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住民の半分が中国人の団地

 高層団地の間を心地よい風が吹き抜け、プロムナードに等間隔で植えられたけやきの葉が揺れている。私はJR蕨駅から歩いて10分ほどの、埼玉県川口市の芝園団地にいた。

埼玉県川口市の芝園団地は、居住者のほぼ半数が中国人。その数は2400人にのぼるという ©八木澤高明

 団地に着いたのは昼前だったが、広場では子どもたちが走り回り、ベンチのまわりでは、住民たちが輪になって井戸端会議をしている。その輪に近づいてみると、聞こえてくるのは、抑揚がはっきりとした中国語だった。

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 中国人の若い男性が、ベンチに座り、子どもを見守っていたので声をかけてみた。6年前から団地に暮らし、中国料理店でコックをしているという。

「ここは、中国人が多いので、安心して暮らせますね。日本なんだけど、団地の近くには中国の食品を売るスーパーやレストランもあって中国と変わらない気持ちで生活できるのがいいと思います」

 芝園団地には、約5000人が暮らしていて、そのほぼ半分にあたる2400人が中国人だ。そもそもここ芝園団地に中国人が増えたのは、日本人の入居者が減ったせいだ。中国残留孤児受け入れ先となったことや、戸田市や川口などには工場が多く、そこで働く中国人が増え、この芝園団地が好都合だったからである。この団地に暮らしている外国人たちは、夫婦共稼ぎで昼夜を問わず働きに出ている者も少なくなく、団地にある託児所は24時間体制で子どもを受け入れている。

 芝園団地はじめ、首都圏には数多くの団地が60~70年代に造られたが、少子高齢化により、日本人の数が減っていく社会状況の中で、外国人の入居者の割合が年々増え、新たな光景が広がりはじめているのだ。

芝園団地の近くにある生鮮食品店は手書きの値札に中国語も ©八木澤高明

 団地の一角にある自治会の事務所を訪ねてみると、女性ひとりと男性2人の姿があり、取材で来た旨を告げると、突然の訪問にもかかわらず、自治会長の真下徹也さんが取材に応じてくれた。

 真下さんは、1978年に芝園団地ができた当初から暮らし続けていて、年齢は86歳になる。人生の半分は芝園団地と生き続けてきた。出身は東京の王子。団地ができた当初は、当然ながら住民は日本人が主で地方出身者が多かったという。それが、20年ほど経つと、徐々に日本人の住民が減っていったという。