野村 そうですよね。

 成田 天からの視点や、陰から覗き見ているような視点が入っているのが、この映画の面白さだなと思いました。

映画『六つの顔』 (シネスイッチ銀座、テアトル新宿、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国にて上映中) © 2025 万作の会

 野村 そうですね。

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 成田 世阿弥の言葉で「離見の見」というのがありますよね。演じる本人から見た「我見」と客から見た「離見」に対し、そのどちらでもない第三の眼のような視点から分裂する両者を統合した「離見の見」で見よ、という。今回の映画はカメラやクレーンといった技術による離見の見の実現なのかなとも思いました。

 野村 そうやって見ていただけると、世阿弥さんも喜ぶと思います(笑)。

野村万作アバターが600年後も

 成田 狂言には室町時代から600年を超える歴史がありますね。それだけ長い歴史によって映像化が可能になったとも言えます。

成田悠輔さんが持っているのは、野村万作さんの著書『太郎冠者を生きる』 ©文藝春秋

 野村 そうですね。

 成田 今からさらに600年後の狂言はどうなっていると思われますか?

 野村 未来の狂言……。何をやるにしても「狂言師」としての枠はあると思うんですよね。

 たとえば、この着物をくれた観世寿夫が主宰していた「冥の会」がベケットの演劇『ゴドーを待ちながら』を上演したことがあって、僕も出てくれないかと頼まれたんだけど、「難しいものはできませんよ」と言って降りちゃったんです。結局、僕の兄(野村萬)や観世寿夫の弟の静夫という方々でなさったんだけれども。そういう前衛劇を狂言や能の人間ができると、僕は思いませんでした。

 実はその前にも、岩田豊雄さん、つまり作家の獅子文六さんですが、「『ゴドーを待ちながら』という面白い演劇があるからやってみたらどうだい」と言われたことがありました。「これは狂言師には無理だよ」と僕は思ったんです。だから、何でもかんでもやってきたわけではなくて、やはり見境をつけながらやってきたつもりなんです。

野村万作さん ©文藝春秋

 成田 ただ、万作さんは生涯を通じた演技・作品が映像として残る最初の世代でもあります。それは600年後に向けて残っていきますよね。その映像をデータとして食べた万作さんのAIアバターが600年後も演じているのではないかと。良いことなのか悪いことなのか分からないですけれども。

 野村 “残す”という精神はいいのですが、“残っちゃう”となるとちょっと違う。

《この続きでは、狂言の未来について野村万作さんの願いが語られています》

(構成 伊藤秀倫)

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