「事件が起きた日に何があったのか」をあえてすべて書かなかった原作
――ドラマならではの楽しみ方や、見どころを教えてください。
芦沢 原作では、「事件が起きた日に何があったのか」をあえてすべては書いていません。正確には、第一稿では阿久津自身が語るシーンを書いたものの、阿久津という人物はその日の出来事や、そのときの感情を言語化するだろうか、「真相」として提示するのは作者である私の都合でしかないのではないかと考えたため、削りました。
わかりやすい形で提示することで、読む人が何となくわかったような気持ちになってしまうのも嫌で、わからない部分が残っているからこそ思考を深められるのではないか、と読者を信じる決断をしました。
刊行後、読者の方一人ひとりのご感想を読んで、その決断は正しかったのだと胸が熱くなりましたが、映像では阿久津自身が言語化しなくてもその日の出来事を描くことができるので、製作陣に私の手元にあった第一稿をお渡しして、それを参考に事件当日のシーンも作っていただきました。今度は製作陣を信じようという判断です。
抑制の効いた脚本と、野田洋次郎さんの余白のある素晴らしい演技によって、映像でしか表現できないシーンにしていただいたと感じています。
――「かつて現実にあった社会問題」がドラマの謎を解く鍵となります。差別や偏見に繋がることが問題となったこの“社会問題”をテーマにされたのはなぜでしょうか。
芦沢 数年前から「正しさが変わること」について考えるようになりました。今、自分が信じている正しさが、いつか正しくないことになるかもしれない。そのとき、他でもない自分が自分自身を許せなくなるかもしれない。そんな恐怖を抱く中で、長い期間残る「本」という媒体で物語を書くことに抵抗を覚えるようになりました。
けれど私は結局、物語を書くことでしか思考を深められないんですよね……延々と考え続けていくうちに、以前から関心があったこの社会問題が、まさに正しさの変化と深く関わっていることに気づき、改めて向き合いたいと考えました。

