法務省と政界の“リエゾン”
はじめて検察の現場から法務省に引き上げられたのは任官8年目の1999年。刑事局付検事として、法務省と検察現場のリエゾン(連絡役)を担うことになった。
当時の検察は、金融失政批判を受けて解体された大蔵省にとどめを刺すことになった1998年の大蔵省接待汚職事件摘発をめぐり法務省と特捜検察の現場の対立の余燼がくすぶっていた。東京地検特捜部長の熊﨑が事実上、検察のセンターラインから外され、検事正の石川にも地方の検事長への異動の内示が出ると、時を同じくして、則定衛東京高検検事長(38年)の女性スキャンダルが発覚。辞職に追い込まれ、検事総長人事が混乱するドタバタ劇も起きた。
森本が内閣官房副長官秘書官だった2002年には、検察の不正経理を告発しようとした三井環大阪高検公安部長(47年)を大阪地検が逮捕する「三井環事件」が起こる。「臭いものに蓋をした」と検察がマスコミや与野党からの大ブーイングを浴び、追い打ちをかけるように2004年の日本歯科医師連盟の自民党旧橋本派への1億円闇献金事件では、捜査線上に浮かんだ有力議員を不起訴にしてまた批判を浴びた。森本はこの難しい時期の法務省と政界のリエゾンをこなしている。
《この続きでは、高検検事長だった黒川弘務氏の補佐役として、森本氏が手腕を発揮したエピソードを紹介しています》
※本記事の全文(約7800字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(青山次郎「人呼んで『50の貌を持つ男』…次々期検事総長の最有力候補が渡ってきた“危ない橋”」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
「森本は事件だけじゃない。行政能力もある」
黒川弘務と林真琴の狭間で
同郷の元特捜部長・熊﨑勝彦は反面教師?
日本版司法取引を推し進める
