「戦争の記憶」がすでにない時代に、何ができるか
――これからますますファンタジー化してしまうだろうと思いますか?
高橋 戦争体験者や戦争の痕跡みたいなものから遠く離れた環境で育っている世代にとっては、もうしょうがない感じがしますよね。それこそ、関ヶ原の戦いについては書き放題できるじゃないですか。架空戦記にもできるし、新解釈でシミュレーションしていったり。それは小説に限らず、映画でもドラマでも同じだと思います。今や、たった110年前の日露戦争だって、ファンタジー化されて消費されているわけですから。
――小説家として、それに抗おうという気持ちはありませんか?
高橋 さっきの大岡昇平対談集に野間宏とのものがあって、戦争に対する態度を大衆が忘れ始めている、わからなくなってきていることへの危惧を、野間が述べているところがあるんです。1953年の対談なので、まだ人々に戦争そのものの記憶が強く残っている時代のことですよね。でも、2017年の日本においては、もはや「戦争の記憶」という損失を危惧されるべき対象そのものが、すでにないわけです。だから、身も蓋もない話になりますが、抗いようがないというか。
――ただ、『指の骨』でデビューされて、続く2作目の『朝顔の日』も戦時中を舞台に、結核を患った妻と看病する夫の話を書かれましたよね。何か、戦争を書くことにこだわりがあるのかと想像したんですが。
高橋 うーん……、書き終わると信念みたいなものは忘れちゃうんですけど、まあ、歴史がファンタジー化することへの一種の抵抗は持っているのかもしれないですね。
横井さんとか、小野田さんとか、帰ってこなかった人に興味がある
――最近はしばらく、戦争をテーマにしたものを書いていないようですが、今後また書く予定はあるんですか?
高橋 予定はないですけど、現代ものと違って見たこともない風景を自分の言葉で再現していく、立ち上げていくことはやっぱり面白いなと思っているんです。書くかどうかは別として、興味はあるのは8月15日を過ぎた後も続いていた戦闘のことです。
――占守島の戦い(日本領だった千島列島の北東端で起きた、日本軍とソ連軍による戦闘)などがそうですね。
高橋 終戦後、日本に帰ってこなかった人たちにも興味があります。1972年にグアムで見つかった横井(庄一)さんとか、74年にフィリピンのルバング島から帰ってきた小野田(寛郎)さんとか。先日ニュースで知ったんですが、シベリアに抑留された人で、そのままロシアで生活している人がまだいるみたいですね。上官に「兵士が生きて帰れば、日本で裏切り者として処刑される」と言われて、そのままソ連に残ったという。その上官との関係も含めて、興味深い。
――『指の骨』『朝顔の日』にある高橋さんのプロフィールには、12月8日という誕生日が記載されていますよね。
高橋 こだわっているわけではないんですけど、現代を書いた作品のほうには載せていないんですよ。毎年、誕生日になると、何かしらニュースで「今日は太平洋戦争開戦から何年」とか、真珠湾攻撃についてのドキュメンタリーをやったりしているので、同じ日なんだよな、とは思います。うっすらとですけど、自分と戦争の歴史がつながっている気はしますね。
たかはし・ひろき 1979年12月8日青森県十和田市生まれ。2014年「指の骨」で第46回新潮新人賞受賞。他の作品に『朝顔の日』『スイミングスクール』『日曜日の人々』など。
写真=佐藤亘/文藝春秋