1982年、14歳の少女カリンカが不審な状況で急死した。胃の内容物が肺に吸引された形跡や複数の注射痕、そして性器周辺の裂傷と血痕——。死因は「心臓麻痺」とされたが、父親のアンドレ・バンベルスキーは疑問を抱き始める。継父であるディーター・クロムバッハの不自然な言動と検死報告書の矛盾。これを発端に、バンベルスキーは27年にも及ぶ執念の追跡を始めることになる。新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)のダイジェスト版よりお届けする。
なぜ娘は死んだのか? 怪しい「検死報告書」
カリンカの死から3ヶ月後、ようやく手に入れた検死報告書。そこには不可解な点が複数あった。死因は心臓麻痺とされていたが、その理由は明記されていない。クロムバッハは「日射病の治療として注射をした」と主張したが、法医学者によればそのような注射はありえないという。さらに遺体からは複数の暴行の痕跡が見つかっていた。
決定的だったのは、クロムバッハ自身が娘の検死に関わっていたという事実だ。バンベルスキーはクロムバッハを告発するビラを約2000枚配布するが、地元では名士として知られる人物を批判したことで逆に名誉毀損で訴えられ、ドイツへの入国を5年間禁止される。
1985年、バンベルスキーの訴えにより娘の遺体が掘り起こされると、体内から危険な薬品イソプチンが検出された。しかし、ドイツでの刑事裁判では証拠不十分として審理が終結。1995年にフランスで出された国際逮捕状もドイツ側に拒否される。
クロムバッハは1997年に別の少女への薬物暴行で逮捕されるが、わずか11ヶ月で釈放。2004年にはドイツ裁判所がフランスへの引き渡し要請を却下し、事件は終了したと宣言した。
「娘を殺害した犯人」に復讐するために…
「いっそのこと、おまえが殺しにいけばいいのに」
2008年、行きつけのバーで友人からそう言われたバンベルスキーは「法で裁かなければ意味がない」と答えた。しかし、数ヶ月後、彼は突然の申し出を受ける。
「おまえが望むなら、クロムバッハを誘拐してフランスに送り届けてやろう」
プロの誘拐チームからの申し出に、バンベルスキーは約250万円の報酬で依頼することを決意する。2009年10月、誘拐チームはクロムバッハを拉致し、フランスとの国境近くの裁判所に置き去りにした。バンベルスキーは警察に自首。一方のクロムバッハはフランスで裁かれ、2011年に懲役15年の刑が確定した。
バンベルスキーに下された判決は執行猶予付き懲役1年。2022年、彼は「私が行ったことは正しい行為だった」と語っている。
クロムバッハは2020年2月に健康上の理由で釈放され、同年9月に85歳で亡くなった。バンベルスキーの27年に及ぶ復讐への執念は、ようやく終わりを迎えたのである。
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