見る者が驚く濃密さで二人の俳優は芸に取り憑かれた歌舞伎役者を演じきった。

 映画の概念を超え、人々の心を震わせた演技が絶賛に値する理由を考察する。

©2025映画「国宝」製作委員会

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過酷な稽古の末にたどり着いた境地

 映画『国宝』の大ヒットの要因において、主演の吉沢亮と横浜流星の演技がその核心であるのは間違いない。観客の多くが衝撃を受けたのは、二人の歌舞伎の舞台での演技が、通常の映画俳優の演技の概念を超えているからだ。そこにいるのは、「歌舞伎を演じる俳優」ではなく、「歌舞伎に憑かれた役者」そのものだった。

 あえて言えば、歌舞伎の舞台場面がメインディッシュの映画だ。映像映えしそうな原作エピソードを削ってでも、喜久雄と俊介の歌舞伎場面が中心に据えられている。『曽根崎心中』『二人道成寺』『鷺娘』などの演目が、物語運びでも特別な意味を帯びる。

©2025映画「国宝」製作委員会

 歌舞伎における舞踊は、物語を短い踊りの時間に圧縮する効果を持つ。その振りや構成に、登場人物のドラマや心理が「心」として結晶化されるのだ。『国宝』でも、これと同じ構造が採られている。吉沢と横浜は、言葉では表現しきれないドラマや想いを、舞台上の歌舞伎の所作や型、発声に込めて観客に伝える。

 歌舞伎指導の中村鴈治郎、日本舞踊の谷口裕和、女形振付の吾妻徳陽らによる一年半の稽古は過酷を極めたという。基礎のすり足から始まり、徹底して型を叩き込まれた。人気俳優二人をそこまで追い込んだことがまず勝因であり、互いの切磋琢磨あってこその研鑽だったとも想像する。無論、それは劇中の役柄における二人の関係性とも重なる。

©2025映画「国宝」製作委員会

 映画の撮影と実際の舞台は違う。舞台は一定時間以上演じ続ける必要があるが、映画はカメラが回っている間だけ演技のピークを刻めればよい。ただ、二人に求められたのは、役をまといながら、「型を生身の感情が突き破る」瞬間であり、そのためにも型のインストールは必須だった。