編集者と「意識のズレ」が生じる理由

 会社員は毎月お給料をもらえます。私も会社員だった時代があるのでよくわかるのですが、会社員にとっての収入は「労働そのものがお金になる感覚」なのです。でもフリーランスにとっての収入は「成果がお金になる感覚」です。どれだけ労働しようと、成果物がお金にならなければ意味がありません。でも、この感覚が希薄な“会社員”編集者がいるのも事実です。

 もちろん、支払関係がちゃんとしている編集者もたくさんいます。「刊行が遅れてしまったので、早めにアップしてくれたあなたの原稿を文芸誌に載せて原稿料をお支払いします」という対応をしてくれる編集者もいます。

(例2)編集者から依頼を受け、プロットを作成した。出版社へ何度も出向いて打ち合わせし、ブラッシュアップもした。ところが編集者が異動することになり、引き継ぎもしないまま編集者は別の部署へ行ってしまった。

 これもよく聞く話です。私の知り合いの作家にも、同じ目に遭った人がいます。要するに「まだ執筆段階まで進んでないし、お金を払うほど働いてないよね? なら別にここで話がナシになってもいいでしょ」というわけですね。

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 構想を練って、プロットを作る。時間と交通費をかけて打ち合わせに出向く。これは立派な労働で、お金もかかっています。なのに引き継ぎもせずに異動をしてしまうのは、やはりフリーランスの労働というものを蔑ろにしているのです。せめて責任を持って引き継ぎくらいはしろという話ですよね。引き継ぎするほどでもない仕事をお前は担当作家にさせていたのか!

 ちなみに、私もこれに近い事態に遭遇したことがあります。そのときはプロジェクトそのものが頓挫してしまうというケースだったのですが、担当者は「ここまで作業していただいた分の原稿料を出します」と報酬を支払ってくれました。

 作家の仕事は「時間」と「思考のためのリソース」で成り立っています。材料を仕入れたり誰かに人件費を払ったりといった「身銭を切っている」という感覚が、他者から見えにくいという性質があります。だからこそ、「この仕事がなくなったって大きな損はないじゃないか」と思われてしまうわけですね。

 しかしその実態は、「無駄になってしまったこの仕事をしていた時間で、別の仕事ができた。そこで稼げたお金があった」というわけです。それはどう考えたって〈大きな損〉ですよね。

写真はイメージ ©getty

 2023年以降、下請法関連の改正やフリーランス新法の施行など、下請けやフリーランスに対する支払関係がどんどん厳格になっています。フリーランスの労働を軽んじる人間が少なくなることを願うばかりです。

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