海外での過労死事件では、遺体が帰国した際に変色しているなど、通常では想像しがたいような状況に、遺族が直面することもある。上田さんの場合も遺体はすでに「ろう人形」のように固くなってしまっていた。直美さんは、火葬まで毎日セレモニーセンターの保冷庫を開けてもらい、息子の亡骸の髪を整えたり、カサカサになっている唇にオイルをつけたりと最後まで尊厳を守ろうと心を尽くしたという。

 動揺する遺族に対して会社の動きは素早かった。亡くなった息子と対面するよりも先に、会社担当者は直美さん宅を訪問し、「過重労働ではなかった」と話した。そのときに会社が遺族に手渡した「上田優貴さんのタイRDFプロジェクト現場、勤務状況」と題されたペーパーには、タイ赴任時の残業時間が月ごとにまとめられており、各月とも60時間程度とされていた。わざわざ月ごとの残業時間を記載するところに、過労死ラインを意識している会社の姿勢が見受けられる。

「事故か自死かわからない」

 会社はこのとき、死因を遺族に説明していない。30メートルの高さから転落したのは疑いの余地もない事実だが、柵を乗り越えて自死したのか、誤って転落した事故なのかは一つの争点だ。工場に設置されている防犯カメラには当時の映像が記録されているが、会社側は「死因は不明」と繰り返し主張している。しかも、その映像が遺族の弁護士に提供されたのは労災が認定された後になってからだった。

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 事故か自死かによって事件の性質は全く違うものになる。もし転落事故ということであれば、転落防止のための柵を設ける、または高所で作業する労働者に対して命綱をつけるようにするなど、転落が起こらないような再発防止策が求められる。しかし、過労による自死となると、再発を防止するためにはまず労働時間の削減が求められるだろう。そのためには業務の見直しや増員などを含めて全社的な取り組みが求められ、転落防止柵の設置を遥かに上回る莫大な「コスト」がかかる。その点を懸念してか、日立造船は自死とも事故とも言わずに「死因は不明」と主張しているものと推察される。

 直美さん自身も、自死に至る理由も特に思い当たらず亡くなった理由はよくわからなかった。当初は仕事が自死の原因かどうかも考えつかなかったようだが、会社から受け取った上田さんの遺品をみて「これは自死だろう」と思ったという。遺品には「一日三行ポジティブ日記」と表に書かれたノートがあり、亡くなる数日前に「父親に感謝を伝える」メッセージや「遺書めいたこと」が書いてあり、自死を確信した。

最後のページ。「今、オレは仕事がぜんぜんできなくて、毎日おこられてばかりでとてもつらい」

 その後の遺族の調査で、最長で1ヶ月149時間の残業だけでなく、帰国時期が一方的に延長されたこと、慣れない業務によってミスが生じた際に上司に激しく叱責されたことなど、職場環境が上田さんに大きな精神的負荷を掛けていたことがわかっており、2023年4月、直美さんは大阪南労働基準監督署に労災を申請。2024年3月に労災と認定された。