27歳の若さで過労自死に追いやられた上田優貴さんは、大学院で勉強した電気工学と環境技術を世界に広げる夢をもって日立造船(現・カナデビア)に入社したが、新卒で入社してわずか3年後、タイに赴任して3ヶ月後の2021年4月に、タイのごみ焼却施設のプラントから飛び降りた。

 そして、亡くなった直後に会社から「転落事故か自死かわからない」との説明を受けていた母、直美さんは、遺品のノートにあったメモ書きから自死を確信した。

 では、その後、直美さんはどのような行動に出たのだろうか。海外派遣者の自死が「過労死」と認定されるまでに遺族に課されたあまりに高いハードルについてみていこう。(全2回の2回目/前編を読む)

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大学院学位授与式での上田優貴さん

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業務ノートにのこされていた朝5時の機械計測記録

 遺品にあったメモ書きから、死因は会社の示唆するような事故ではなく自死だと直美さんは考えた。しかし、息子を自死に追いやった原因については、その時点では思いつかなかったという。無理もないだろう。わずか3ヶ月前までは大阪で元気に働いており、家族とも頻繁にやり取りをしていたからだ。

最後のページ。「今、オレは仕事がぜんぜんできなくて、毎日おこられてばかりでとてもつらい」

 ただ、やはりタイに赴任してからメッセージのやり取りの頻度が減っていたため、精神疾患を発症したことによる自死なのであれば、「タイでなにかあったのでは」とは考えたという。

 亡くなった理由を探しながら会社から受け取った遺品を整理していると、そこに業務ノートがあるのを直美さんは見つけた。上田さんのタイでの職場には、同じ日立造船から派遣された日本人も働いていたが、タイやベトナムからの労働者とも一緒に働いていたため、おそらく業務に関しては英語でのコミュニケーションが行われており、業務に関するノートの記載は英語になっていた。

 直美さんが、その英語のノートをぱらぱらとめくると、日時と数字が列挙されているページをみつけた。それはゴミ焼却設備の稼働に関するデータであり、例えば、「●月●日」のページには、「●●時●●分 〇〇、●●時●●分 〇〇」との記載があり、ずっと機械を観察しながら一定時間ごとにデータを収集していたことがわかる。