NHKの佐戸未和記者(享年31)が亡くなった経緯や、その後、過労死だと偶然気づいた遺族が証拠を集めて労災申請を行ったプロセスを見てきた。
後半では、労災が認定されたあとのNHKの対応から、同じ職場で2度も過労死事件が起こってしまった背景について考えていきたい。
国が過労死について発表することはない
未和さんが亡くなって以降過労死が公表されるまで、両親のもとにはNHKの職員が年に一度だけ命日の焼香に来ていたが、NHKが遺族に向き合い誠実に対応しているとは到底思えなかったという。
実は、未和さんの労災が最初に公表されたのは、亡くなってから4年後の2017年10月だ。NHK側が第一報を10月4日に、その9日後の10月13日に遺族が厚生労働省記者クラブで会見を行い、事件が広く知られるようになる。
よく誤解されるが、仮に過労死が起こったとしても、国が「この会社で亡くなったAさんが労災と認められました」と公表することはない。もちろん、会社側が自社で過労死があったと自ら進んで公表することもなく、基本的には、遺族が記者会見や取材などでメディアに発信してはじめて、私たちはその事実を知ることができる。
未和さんの過労死について、当初、両親は記者会見を行うつもりはなかったという。とはいえ、この事実を隠しておきたいということではなく、むしろ、社内できちんと事実を共有し、二度とこのようなことが起こらないように対策を講じてほしいと考えていた。
NHKの記者はまったく知らなかった
ところが、次第にNHK社内で共有どころか社員にすら隠していると遺族は感じるようになる。
母・恵美子さんは、未和さんの死後身心に不調をきたし入退院を繰り返していたが、回復してきた2017年の春ごろから、「東京過労死を考える家族の会」という過労死遺族当事者の会に参加して、過労死防止の活動や集会に出席するようになった。そこにはさまざまなメディアの記者も参加しているが、出会ったNHKの記者に恵美子さんが挨拶をしても、ほとんどの記者はぽかんとした反応をみせて、未和さんの件について知らなかったという。労働問題の解説委員さえ、局内で起こった過労死についてまったく知らなかった。