NHK首都圏放送センターで東京都庁の取材を担当していた40歳代管理職の男性が、3年前の2019年10月に亡くなった。この男性の死が労働災害(労災)と認定されたことが、今年9月に公表された。オリンピックなどを担当しているなかで、過労死ラインを超える残業の結果、命を落としている。
遺族が労災申請したのは「偶然」だった
この男性が働いていたのは、NHKで「最初」に起こった過労死事件として公表された佐戸未和記者(享年31)の職場だった。同じ企業内で、しかも同じ職場で2人も過労死に追いやられるという異常事態が起こっているが、これでも氷山の一角である。
日刊ゲンダイDIGITALの記事によれば、NHK内では2008年から2017年までの10年間で実に91人が在職中に亡くなっている。このなかには過労死の可能性があったにもかかわらず、労災と認定されていないどころか、労災申請すらできていないケースも多々あるのではないかと考えられる。
なぜこれだけ「過労死」が報道などで話題にあがっても、労災申請をしたり、補償を受けられなかったりする遺族があるのだろうか。実は、佐戸記者のケースも、遺族が労災申請をしたのは、ある「偶然」的な出来事がきっかけだった。
佐戸記者のご両親へのインタビューを通じて、労災申請に至った経緯やその後のNHKの対応について見ていきたい。
「まさか自分の子供が仕事で命を落とすとは夢にも思わなかった」
佐戸未和さんは高校卒業後、一橋大学の法学部に進学。もともと本を読んだり文章を書いたりするのが好きで、学生時代には学生向けのテレビ局にも参加するなど、卒業後はメディア関係企業への就職を希望していた。
第1希望は母の恵美子さんが「好きでいつも見ていた」というNHK。無事、NHKの内定が決まり、記者として働くことになった。NHKの内定が決まった際、父・守さんは子供の頃から見てきた未和さんの能力や適性に合っていると考えつつも、メディアの世界はしんどいだろうなとも思ったという。
「メディアは夜討ち朝駆けで大変な仕事だというイメージもありました。ただ、やはり未和に向いている、いい選択をしたというのが第一印象です。まさか、それで命を落とすようなことになるとは夢にも思わなかったですね」
連絡が取れないことを心配した婚約者がアパートを訪れ…
NHKで働き始めて、最初の赴任先は鹿児島であった。家族とはよくメールや電話でやり取りをしていたが、未和さんの性格からして大変な仕事でも「しんどい」とは言わずに、辛くても家族には面白おかしく笑い話にしていたという。