「その時は体力的には大変だろうけれども、仕事を楽しんでいるようだった」と守さんは話す。
NHKでの未和さんの働き方は「激務」そのものであった。入局後に鹿児島での勤務を経て、2010年に東京に配属となる。都庁記者クラブ配属となったが、亡くなった2013年夏には都議選と参院選が行われ、未和さんは選挙取材でそれこそ寝る間を惜しんで取材に駆け回っていたという。
亡くなる直前1ヶ月間の残業時間は159時間37分、その1ヶ月前は146時間57分と、国が定める過労死ラインの月80時間の2倍近い残業に従事していた。体調を崩して、点滴を受けながら仕事をしていた日もあった。そして、2013年7月25日、連絡が取れないことを心配した婚約者がアパートを訪れたところ、室内で亡くなっている未和さんを発見した。
「なぜ亡くなったのかわからなかったし、労災も知らなかった」
実は父・守さんと母・恵美子さんは、未和さんが亡くなった当時、守さんの仕事の都合でブラジルのサンパウロで生活していた。未和さんが突然亡くなったという連絡を受け、急遽帰国して、葬儀を行ったが、あまりに突然の出来事で「ショックで呆然としていましたし、なぜ亡くなったのかがまったくわからなかった」。
その手がかりを探ろうと未和さんが暮らしていた都内のアパートの部屋に行くと、机の上に薬が置いてあった。「もしかしてこの薬が……」と思い、NHKにこの薬について調べるようお願いしたという。しかし、それは仮に大量に飲んでも死に至るような薬ではないことが判明する。
未和さんの死は後に、最長159時間という過重労働による労働災害と国に認められる。しかし、亡くなった直後の時点では、家族は「過労死」とも「労災」とも思っていなかった。
「私の仕事で数日以内にはまたブラジルに帰らなければいけなかったので、それまでに死因だけでも把握しておきたかった。しかし、NHKがどう思っていたかはわかりませんが、私たちは労災については知りませんでしたし、当初未和の死が過労死とか仕事が原因だとも思いませんでした」
このような反応は珍しくない。「過労死」という単語を知らない人はおそらくいないだろうが、それが具体的にどのような状況を指すのかまで把握している人は多くはない。
守さんは、自身が働いている中で労災という制度や過労死について知ってはいたが、未和さんの件がそれにあたるか、あるいは実際にどう動けばいいかといった具体的なイメージは、弁護士に相談するまでなかったという。そのうえ、同居しておらず突然大切な人を亡くしたご遺族にとって、すぐに死因を特定できるほうが稀有だろう。