四女も驚いた電話の中身
「ついにこの日が来たか」と感じたのは、オウム真理教家族の会の会長・永岡弘行さんの奥さんからの電話でした。7月6日の朝7時、永岡さんがテレビ局の迎えの車に乗り込んだことを知らせてくれたのです。
数カ月前から「そろそろかな」とは、感じていました。今年3月、オウム真理教による一連の事件に関わる13人の死刑囚のうち7人を、別の拘置所に分散させていましたから。死刑執行は金曜日のことが多いので、金曜日だけは法廷の予定を入れないようにしていました。
8時を過ぎると、メディアから出演依頼が続きましたが、私はある電話を待っていました。その連絡が入ったのが昼前のことです。東京拘置所の責任者から、「死刑を執行しました」と電話がありました。私が松本智津夫の四女の代理人だからです。続けて、「遺体と遺品の引取りをされる気はありますか?」と聞かれました。すぐさま四女に確認を取り、改めて電話で「あります」と伝えました。
私たちは2011年から、刑が執行された後の遺体の引渡しを、東京拘置所に求めていました。最後の請求は死刑執行わずか1週間前の6月29日。計5回にわたって要望書を提出したのです。ただそれが実現したことには、四女自身も驚いていました。
翌7月7日午後2時、四女とともに拘置所に行って遺体に対面し、様々な手続きを行ないました。8日は私一人で火葬の要請書に署名。9日に遺体は火葬場で焼かれ、遺骨は東京拘置所に保管されました。
遺骨をパウダー状にして海に散骨することは、以前から四女と話し合っていたことでした。
教祖が亡くなった後も、骨は信者にとって特別な意味を持ちます。それがどこかに安置されたら、崇拝の対象となり、持つ者は松本同様の絶対者グルになり得る。散骨するにしても、例えば松本の生まれ故郷の球磨川に撒いたら、球磨川が聖地となってしまう恐れがある。それを避けるには、「広い太平洋の誰にも分からない場所に散骨するしかない」という結論に至っていたのです。
ましてや起訴されなかった事件を含め、オウム事件では、7人の遺骨が遺族の所に戻ってきていません。それにもかかわらず、松本の骨を持っていたいなどと言えたものではない。「散骨は当たり前だよね」と四女と常々話していました。
〈この続きでは、麻原彰晃の遺骨をめぐる葛藤をさらに詳しく語っています〉
※本記事の全文(約9400字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(滝本太郎「四女と麻原彰晃の遺体を見送って」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
四女も驚いた電話の中身
「父がお世話になりました」
坂本弁護士に頼まれて
道連れにされた信者たち
減らない信者と後継団体
