オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から30年が経過した。なぜ、このような未曾有の凶悪事件が起きたのか。なぜ止められなかったのか――。月刊文藝春秋のバックナンバーから、教団の内実に迫る肉声を紹介します。

 

本稿は、教団の指導者・麻原彰晃の四女の代理人を務めた弁護士が、死刑が執行された日の記憶を語った貴重な記録だ。

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オウムに殺された坂本弁護士の顔が浮かんだ

「あぁ、松本智津夫だ。そうか、彼は松本として死にたかったんだ」

 東京拘置所で棺に入っている彼の顔を見たとき、最初に感じたのは、そんなことでした。宗教団体オウム真理教の教祖・麻原彰晃でも、法廷で裁きを受ける被告人でもなく、松本智津夫という一人の人間の遺体でした。文字どおりそう認識して、これで信者たちに、「もう麻原はいなくなった」と伝えられる、とも思いましたね。

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オウム真理教代表・麻原彰晃の死刑が執行された日の記憶を、四女の代理人を務める弁護士が語った ©時事通信社

 その後でなぜか、私も一度訪れたことのある、松本が生まれ育った熊本県の球磨川の風景が浮かびました。そして私の友人であり、私がオウムと闘うきっかけになった坂本(堤弁護士)の顔が出てきました。オウム真理教に殺された彼はいま、何を思っているのだろうと。

〈2018年7月6日金曜日、オウム真理教による一連の事件で死刑判決を受けていた、教団元代表の麻原彰晃こと松本智津夫と、元幹部ら合計7人の刑が執行された。7月26日には、残された6人の刑も執行された。

 滝本太郎弁護士(61)は、1989年の坂本弁護士一家失踪事件からオウムに関わってきた。信者の脱会カウンセリングも行い、教団に命も狙われた。現在は家族と離れて暮らす松本の四女の代理人を務める。約30年にわたり教団と対峙してきた滝本氏を、突き動かしたものは何だったのか。〉