金髪に染めた理由を聞かれると…
このあと、さらに3次審査へと進むと、今度は金髪で面接にのぞんだ。じつはこのとき髪を染めてくれたのは、当時つき合っていた2つ上の美容師志望の彼氏だったと、後年の著書『今の私は』(小学館、2018年)で明かしている。彼なら上手くやってくれるかなと思ってブロンドカラーで頼んだものの、あまりきれいな仕上がりにならなかったという。母にも「そんな金髪にして落とされるに決まってるでしょ!」と怒られたが、結果的にこれが功を奏することになるのだから、世の中はわからない。
このとき、審査員から髪を染めた理由を訊かれ、後藤が「校則で禁止されてるんだけど、夏休みなんで」と答えたのを、プロデューサーのつんく♂(厳密には、当時はまだ名前に「♂」はついていなかった)が聞いて気に入り、それが決め手になったとは語り草だ。
つんく♂はのちに《なんかポリシー持って“わたし、ロックだから金髪にしました”みたいなヤツだったら、別に要らないんだけど。“夏休みだから金髪にしました”っていうのが、僕大好きなフレーズで》と述べている(能地祐子『モーニング娘。×つんく♂』ソニー・マガジンズ、2002年)。
つんくは「2人目が必要なくなった」と…
ただ、つんく♂のなかでは、ある日、朝から審査をしていて10番目ぐらいに後藤の写真を見た瞬間から、眠気が吹き飛ぶほどピンと来るものがあったらしい。このときのオーディションでは、1999年9月9日発売のモー娘。のシングルで新たにメンバーを2人迎えて9人体制とする予定だったが、結果的に後藤が1人だけ選ばれた。《たぶん、後藤がオーディションを受けた時点で、“2人目”が必要なくなったんですね》とつんく♂は振り返る(前掲、『モーニング娘。×つんく♂』。
しかし、当の後藤にはそのことがプレッシャーとしてのしかかった。合格を知らされたときも、うれしいはずなのに笑えなかったという。それでも加入が決まると有無を言わさず、さまざまなことが動き出した。次の日には「LOVEマシーン」のジャケット写真と翌年のカレンダーの衣装合わせをして、その翌日には撮影を行う。おかげで自分では失敗だと思っていた金髪を染め直す暇もなかった。

