ジャケ写のため用意されたシルバーのキャミソールワンピースにも、メイクさんからファンデーションを厚く塗られ、細くしていた眉を濃く描かれたことも違和感ありまくりであったが、グッと飲み込んだ。自身のデビュー曲となる「LOVEマシーン」も、デモ音源を聴かされ、それまでのモー娘。の曲とはイメージが違って衝撃を受けたという。

「LOVEマシーン」のミュージックビデオでも金髪姿を披露した後藤真希(モーニング娘。のYouTubeチャンネルより)

食事もまともに取れず、3週間で体重が7キロ減少

「LOVEマシーン」は加入した1週間後の8月29日、東京など3ヵ所で開催されたイベントで初めて披露された。さらにリリースの10日後の9月19日からはコンサートツアーも始まるので、後藤は10日前後でモー娘。の既存の十数曲の歌と振付を覚えなければならなかった。それも同期がおらず、レッスンは常に先生とマン・ツー・マンで集中的にやらないといけなかったので、つらかったという(前掲、『モーニング娘。×つんく♂』)。

 食事をとる時間もまともに取れず、おまけに現場の食事は冷めていて、母の手料理で育った彼女にはなかなか慣れなかった。そのため加入して最初の3週間で体重が7キロも落ちてしまう。耐えられなくて、もうやめたいとマネージャーや事務所の人に直談判するも、スルーされる。ただ、食事に関しては、母が抗議してくれたおかげで、時間もメニューも改善された。

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 そんなふうに短期間のうちに紆余曲折ありながらも、いざ初めてステージに立つと、本当に楽しくて、デビューから四半世紀が経っても鮮明に思い出せるという。《目の前に、会場いっぱいにファンの方々が詰めかけ、アイコンタクトで会話をしながらパフォーマンスをする刺激と快感は、他では変え難い経験なんです。負けず嫌いな気質もあったかとは思いますが、何より、ライブでのファンの皆さんとの関わりをまた経験したくて25年間やってこれたんじゃないかな、と思うんです》とは昨年のインタビューでの発言だ(前掲、「美ST ONLINE」)。

メンバー同士で意識の変化も

 後藤がモー娘。に入ってきたことは、ほかのメンバーにも衝撃だったようだ。「LOVEマシーン」のジャケ写の撮影が終わり、後藤がメイクを落とすと、メンバーがその顔を見て「眉がない!」と声を上げたという。当時のモー娘。では眉をいじるのもつけまつげもNGで、金髪どころか茶髪も禁止されていた。そこへ後藤が入ってきたことで、メンバーの意識も少しずつ変わっていく。たしかにその後のCDジャケットをたどると、茶髪のメンバーも増えていくなど変化が確認できる。

 後藤が加入して1年もしない2000年4月には、モー娘。に新たに4期メンバーが4人入ってくる。そのうち辻希美と加護亜依は小学校を卒業したばかりだった。最年少の肩書が取れた後藤は加護の教育係を任せられ、「しっかりしなくちゃ」という意識を持つようになる。

2001年、中澤裕子のグループ卒業記者会見 ©時事通信社

 2001年3月にモー娘。に在籍しながら「愛のバカやろう」でソロデビューするにあたり、曲を『ミュージックステーション』(テレビ朝日)の生放送で初披露したときには、辻と加護が応援に来てくれて心強かったという。