『生きるとか死ぬとか父親とか』(ジェーン・スー 著)――著者は語る
コラムニストでラジオパーソナリティとしても人気のジェーン・スーさん。本作は、「全盛期の石原慎太郎とナベツネを足して二で割らないような男だった」というアクの強い父への愛憎をユーモアを交えながらも、正面から向き合って綴った最新エッセイ集である。
「父は自営業で、高度経済成長期をエネルギッシュに生きた人です。母が、『我が家にはお父さんは居ないの。うんと年の離れたお兄さんと、あなたと、お母さんの三人家族よ』と言っていたほど、マイホームパパからは程遠い存在でした」
そんな父と娘の間を取り持っていたのが母だった。しかし、ジェーンさんが二十四歳のときに他界してしまう。
「母がいなくなってからの我が家は、“通訳不在の国際会議”のような状態になりました。お互いに言っていることが理解できず、傷付け合うだけになってしまったんです。さらに、母の生前から、別の女性の影があったことも折り合いが悪くなる遠因でした」
その後、父は株の投資で失敗し、事業を畳んだ。実家を手放すことになったとき、ジェーンさんは、「その人のことが死ぬほど好きだったという記憶と、お金があれば結婚は続くのよ」と知人に語っていた母の空虚感を知ることになる。
「片づけの最中、百万円の正札がついたままのミンクのハーフコートが出てきました。母は服好きでしたが、無駄遣いを好む人ではありません。家庭を顧みない父に寂しさを募らせ、気を紛らわさなければやっていけない時期もあったのだと思います。そして、私はそのことに薄々気付きながらも、目を背けてきたんです」
今回、触れたくない事実もあえて書くことで、ジェーンさんは、「過去のお焚き上げができた」と振り返る。
「私はずっと、母の『母』以外の横顔を知らないという後悔を持っていました。だから、同じ思いを父ではしたくなかった。実際に、戦争体験や父が『父』になる前の話を聞くと、肉親なのにこんなにも知らない人だったのかと実感しました。父を多面的に捉えられるようになり、父娘の再構築はできたと思います」
一方で、出版後の読者からの反響は思いがけないものだったという。
「これまでの作品に対する感想とは違った反応が多いと感じます。本の内容に触発されたのか、みなさん非常にパーソナルな家庭の話をするんです。さまざまな形の家族があり、けして一様ではないと気付かされた貴重な経験になりました」