自宅でガス中毒で倒れて緊急搬送…
本当に「いろんなこと」があった。
モデル、タレントだった彼女が小室哲哉氏と出会ったのは20歳の頃。恋人関係から「お抱えアーティスト」として華々しく歌手デビューしたのは1995年。21歳のときだ。
「日本レコード大賞や全日本有線放送大賞の新人賞をぶっちぎり状態で総なめに。翌年からは3年連続で紅白にも出場しました。その3回目の1998年大晦日の紅白から、華原に異変が起こったんです」(芸能デスク)
初出場、2回目は小室氏がバックでキーボードやギターを奏でていたが、この年には不在だったのだ。
「年が明けた1999年1月末。自宅でガス中毒で倒れて緊急搬送され、入院生活となりました。それがきっかけで、実は年末に小室氏と破局していたことが判明。芸能マスコミは連日当時の実家の周辺を取材にまわり、ワイドショーなどで報道され続けたんです」(同前)
5月に復帰会見をしたかと思えば、また入院。6月には再び乗馬クラブで馬と共に会見をおこなったが、すっかり変わってしまった華原の様子に世間の不安は増すばかりだった。翌年もまた休養期間をはさみ、本格的に“復帰”したといえるのは2002年。紅白にも「あきらめましょう」で4年ぶりに出場となった。
「ところが数年たつとまた彼女にとってネガティブなニュースが続きました。2007年には所属していた大手プロダクションとレコード会社が契約を解除。2009年、2010年には向精神薬の大量服用で倒れ、入退院を繰り返す状態となってしまった」(同前)
家族の支えのもと時間をかけて体調を取り戻し、もとのプロダクションと再契約し再稼働しだしたのは2012年の12月のことだった。
