10月26日に投開票された宮城県知事選は、現職・村井嘉浩氏が6選を果たしたが、参政党が支援した無所属・和田政宗氏が約1万5000票差まで迫る接戦だった。
昭和史研究家の保阪正康氏は、日本の敗戦により「オモテの言論」と「ウラの言論」が大きくひっくり返った歴史から、参政党の台頭を分析する。
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日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受諾した。東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印したのは9月2日である。これにより日本は政治的、軍事的に、正式に敗戦を受け入れたと言っていいであろう。そして、アメリカを中心とする連合軍による占領支配が始まるのだが、それは日本が国家主権を失った形での統治であった。GHQの政策は、非軍事化、そして民主主義の確立に主眼が置かれた。軍の解体、戦争指導者の処罰、教育の民主化、労働者の団結権の保障などが具体化していく。軍国主義に関わる言論は、統制されたり規制されたりした。
GHQによる「太平洋戦争史」
GHQは占領政策の一環として、1945年12月8日から10回にわたり、全国の新聞紙上で「太平洋戦争史」という宣伝記事を連載するように命じた。日本が使ってきた「大東亜戦争」という語を使わずに「太平洋戦争」という語でこの戦争を改めて認識せよ、と言うのであった。
「太平洋戦争史」には、「奉天事件より無条件降伏まで」というサブタイトルが付されていた。この戦争が軍国主義者によっていかに無慈悲に遂行され、いかに侵略性を帯びたものだったか、またその真実が国民に隠蔽されていたために、どれほど重大な被害がもたらされたかについて、GHQ史観と言うべき見方で、歴史的な経緯が語られる。そして、GHQの占領政策が自賛されるのである。
戦後日本の「オモテの言論」の枠組みは、端的に言えば、この「太平洋戦争史」によって定められたと言えた。その軸にあるのはアメリカン・デモクラシーである。
いま再確認しておくべきことは、たしかにアメリカは戦後日本に民主主義をもたらしたが、建前の平和と自由と平等への志向とは裏腹に、アメリカ自体が非民主主義的な側面を持っていたということである。
国内にあっては黒人差別や先住民差別などの露骨な人権侵害を抱え、対外的には弱い立場の国々への領土拡大、軍事介入、クーデターなど侵略的な行為を重ねてきたという事実がある。つまり、アメリカン・デモクラシーはそもそも虚構をはらんでおり、その虚構が戦後日本の「オモテの言論」にも投影していると考えられるのである。
