立て看のない京大を実際に見たら

 現在、京大の外周に立て看はない。きっかけは二〇一七年に京都市が京大に送った通知だった。市の条例に基づき、京都の景観を保全するため「屋外広告物」に規制をかけている、つきましては京大の立て看板も「屋外広告物」に当たるので法令遵守をよろしく、という京都市の主張を、京大があっさり受け入れたのだ。結果、立て看はすべて撤去された。

 二〇一八年六月に講演の仕事ついでに京大を訪れ、周辺を歩いてみたが、きれいさっぱり立て看は消えていた。京都に向かう前、私は立て看がなくなることを残念に思っていた。いや、憤っていた。あれはもはや日本で京大にしか残っていない文化であり、景観保全という目的だけで規制するのはいかにも根拠薄弱、京大周辺を浄化しないと国の補助金が下りない案件のために市が無理を言ってきたんじゃないの? という陰謀論すら組み立てていたのだが、実際に百万遍から正門まで歩いて抱いたのは、

「うむ。これはこれですっきりきれいでいいもんだな」

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 という身も蓋もない感想だった。

 たった五分そこら歩いただけで、以前の立て看のある風景を忘れてしまった。この程度の思い入れだったのか、と己の現実を受容する早さに呆気に取られると同時に、あれはもう戻らない風景なのだと悟った。

 奇妙な話であるが、京都で各方面の関係者に直接事情を聞いて感じたのは、この「立て看」案件に司令塔はいないということだった。京都市すらも「何が何でも」という強い意思があったわけではないようで、通知書を読んでも条例を盾にはしているが、「悪役にはなりたくない」というへっぴり腰が文面から惨み出ている。京大のほうも総長自身は立て看を容認する姿勢だったとも聞く。それでは、なぜ大学側がこうも強引に、拙速とも言える動きで立て看を抹殺してしまったのか。

 真相はわからない。

 ただ、決断した大学関係者が共有する認識のなかに、

「今の学生に昔のようなエネルギーはない。押し切れる」

 という醒めた見極めがあったのではないか。

 確かに二〇一〇年あたりから、京大を訪れるたび、立て看から勢いが消えつつあるのを感じないわけではなかった。時代にそぐわなくなっているという側面は確かにあっただろう。かつては触らぬ神に祟りなしの対象だったはずの立て看から、神は去ったのだ。

 代わりに、私は京大が結界を失ったように思えてならない。やがて大学も、学生も、結果的に目指すことになる「普通の大学」になったとき、気づくのではないか。

 たとえば、京都市内で京大生がアホをしても「京大ならしゃあない」と見逃してもらえる生ぬるい庇護、京大観光に行った人が「何か怖くて中に入れなかった」と感じる言葉にならぬ畏怖、それらがいつの間にか目減りしていることを。

 結界の消滅とともに、

「アホが今日もアホしてる」

 と無形の安心感を与えてくれた依代も立ち去ったことを。

 何より、今の社会がのどから手が出るほど欲しがっている若者の元気を、いとも容易く手放してしまったことを。

万感のおもい

万城目 学

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