僕がまだ小さな子供だった頃、夜中に家に響く玄関ブザーの音が大嫌いだった。お母さんと兄弟で平穏だった寝室から、お母さんが抜け出していく。

 まだ寝付けていなかった僕は、母の後を追い、そっと部屋を出る。帰宅した父親の世話をする母親を、僕は2階の階段の踊り場から遠く眺めていた。「ベッドに入って早く寝なさい」と階下の母から声を掛けられるのが寂しかった。

肩を抱かれた「母との写真」

 電車の中でお母さんに肩を抱かれた僕の写真がある。折角のお出かけなのに、写真の僕の表情はどこか淋しげだ。

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(新刊:『石原家の兄弟』より)

 帽子を被っておめかしして出かけたのは、きっと横浜の髙島屋だったのだろう。電車に乗ってお母さんとの二人きりのお買い物は兄弟の輪番制だった。一度、役目が終わってしまえば、次に巡って来るのは数ヶ月も先のことになる。大好きな横須賀線に揺られる幸せな時間が長く続かないことを僕は子供ながらに知っていた。満面の笑みを浮かべるひと時のはずなのに、僕の顔に笑顔はなかった。

次の記事に続く 「僕がどれだけ母の役に立ったのかは分からない。それでも…」次男・石原良純(63)が亡き母・典子に「間違いなく親孝行した」と確信した“2つのプリン”の思い出

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