「僕がどれだけ母の役に立ったのかは分からない。それでも間違いなく親孝行したと確信しているのは、最後の晩にプリンを持って行ったことだ」

 2022年3月に母である、石原典子さんを失った次男の良純さんが「間違いない親孝行した」と確信するワケとは? 石原慎太郎氏を父に持つ四兄弟(石原伸晃・良純・宏高・延啓)が、それぞれの視点から家族の記憶・想い出を綴ったエッセイ集『石原家の兄弟』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

石原慎太郎さんの妻で四兄弟の母親でもあった典子さん ©文藝春秋

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親父の一番の支持者

 お母さんとの小さな旅の最後の景色は、横浜駅のホームで電車を待つ時間だった。駅ビルの髙島屋のロゴがひと際、赤く大きく輝いて見えた。僕はロゴから目を離さず、ふと不安になって左手でお母さんの手を探す。空を切る僕の手をお母さんは、優しく捕まえてくれた。

 その手は、小さな僕の手よりも大きくて温かかった。

 親父が政治家になると、母の毎日はさらに忙しくなった。家を守るのと同時に、勝手気ままに飛び廻る親父に代わって選挙区も守った。母は慎太郎事務所の筆頭秘書であり、かつ親父の一番の支持者でもあった。

 そんな母の最大の心残りは、晩年、父を残して介護施設に入ることになってしまったことだろう。四人の子供が独立し、親父が政治家を引退し、やっと訪れた二人の時間は母にとって至福の時だったに違いない。しかし転倒して骨折をくり返してしまった母は、やむなく施設に入居した。