実家に親父がひとりで残ったとはいえ、もちろんお手伝いさんや秘書、時には介護士、看護師さんと身の廻りの世話をする手が絶えることはない。それでも、誰か身内が調整役をしなければならない。親父が亡くなる前の1年半の間、僕が事務長の役目を担うことになった。
あの慎太郎先生を相手に事務方を一手に引き受けるのだから、それはかなりやっかいな役廻りだった。
ある時、母の施設を訪ねると「ごめんなさいね」と突然、母に謝られたことがある。その時は、何のことだか分からなかった。でも今になって、我がままな親父に振り廻される事務長の僕を労ってくれていたのだと気が付いた。母にとって親父との二人の時間は、楽しくても休まらない時間だったのかもしれない。
ちょっぴり涙が出た
僕がどれだけ母の役に立ったのかは分からない。それでも間違いなく親孝行したと確信しているのは、最後の晩にプリンを持って行ったことだ。母が亡くなった翌日、僕は施設へ母の部屋を片付けに行った。ふと冷蔵庫の中を覗くと、二つ残っているはずのプリンの姿は無かった。あの晩、母は僕が帰ったあと、残りの二つも食べてくれたのだ。
三回忌の法要が終わったあと、初めて母の夢を見た。城好きの僕は、どこかのお城の中で母を案内していた。薄暗い天守閣で足元を気遣い、僕はお母さんの手を取った。その手は、昔と同じく温かかったが、随分と細くなっていた。
夢から覚めた。目を開くと僕の左手は何かを握っているように結ばれていた。母が亡くなってから初めて、ちょっぴり涙が出た。
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