「男から何度蹴り倒されても、しぶとく立ち上がる。彼女はそんな子でした」
ラブホテル密会報道にゆれる小川晶・前橋市長(42)。何が彼女を形作ったのだろうか。同級生たちに取材して、少女時代から辿ってみると――。
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「軽率でした」と陳謝したが…
9月下旬に「NEWSポストセブン」がラブホ密会を報じて以降、騒動は収まる様子がない。
「相手との合流に公用車を使ったこともあり、説明に追われています。市議会や報道陣には10回以上のラブホ通いを認めて『軽率でした』と陳謝。一方で『男女関係はありません』と繰り返しています。市役所には数千件の意見が寄せられ、市政は混乱中です」(地元政界関係者)
10月10日には、密会相手の男性秘書課長(当時)が経緯を記した7000字超の“弁明文書”を市議会議長らに提出した(全文を「週刊文春 電子版」で掲載中)。
「秘書課長も、密会はあくまで『打合せ』だと釈明。『ラブホテルに誘ったのは人目を避けるため』などとして、秘書課長側から誘ったとする内容です」(同前)
全国から注目を集める小川市長の言動だが、その原点はどこにあるのか。時計の針を戻そう。
「当時から目立つ子でした」
1982年、九十九里浜の近く、現在の千葉県匝瑳市に生まれた。兄と弟との3きょうだいだ。
「実家は農家で、お父さんは成田空港の建設を巡る成田闘争(三里塚闘争)に参加した活動家。市民団体『全国農民会議』の共同代表も務めています」(大手紙記者)
千葉で小中学校時代を過ごした。同級生が言う。
「彼女は中学の頃から頭が良くて、『将来は弁護士になるんだ』と言っていました。当時から学年のリーダー的な存在で、目立つ子でした」
肉体の鍛錬にも励んだ。少林寺拳法を習っていたのだ。冒頭のセリフは当時、稽古を共にした男性の述懐。男性が続ける。
「子供の頃から見た目は全然変わってないです。僕たちは小川が可愛いとか、モテるとかは思ってなかったなあ。当時は男の子に混じって稽古をしていた。負けん気が強くて活発でした」
果敢に男子に挑む“少林少女”時代を経て、地元を出た彼女は茨城県内の私立清真学園高校に進学。寮生活を始めた。

