高校時代のあだ名は「熊殺し」
自ら親元を離れる決断をしたといい、SNSの投稿でこう振り返る。
〈中3で弁護士になりたいと突然言い出した時も、県外の高校に行きたい(家を出たい)と相談した時も、自分で決めた道を進みなさいと後押ししてくれたのは母でした〉
高校でも部活動で少林寺拳法を続けた。相当な腕前だったようで、下の名前「あきら」に因んでか、こう呼ばれていた。
「高校時代に『ベアキラー(熊殺し)』ってあだ名付けられましたね。フッフッ。なんでなんだろう」(小川市長のSNS動画)
一方、当時流行のルーズソックスを履いていたそうで、青春らしい日々も過ごしていた。
「息子が通っていた予備校の近くにあるカラオケ店から、小川さんが同じ高校の男子と出てくるのを見たことがあると言っていました」(同級生の親)
修学旅行記では“暴露エッセイ”を披露
当時の彼女が自ら綴った文章を発見した。高校2年時の「修学旅行感想文集」だ。
〈修学旅行3日目の京都班別自由行動を、私はとても楽しみにしていた〉
という書き出しで始まる作文。広島から京都へ移動して歩き回った記憶が、淡々とした筆致でエッセイ風に綴られる。
〈でも当日になってみると、Kさんはカキにあたって具合が悪いらしく、また他の女子3人も腹痛を訴えていて、出発前からいろいろ大変だった〉
いきなり友人たちの秘事を暴露する。そして、
〈まず最初の目的地は本能寺である。15分で到着する予定が、道を間違えて1時間もかかってしまった。そこでまた1人機嫌が悪くなった。そして班長もなぜかぶちキレていた〉
と、思い出の修学旅行記で、わざわざ他人の“ブチ切れ”エピソードを取り上げて書くという独特の感性を見せる小川氏。
その後は和菓子屋での体験や美しい景観に触れつつ、最後はなんともシニカルに締めくくる。
〈確かに楽しかったけど、でもそれは私の期待していたものとは少し違っていたようである〉
中央大学法学部に進学、大学5年時に司法試験に合格する秀才ぶりだ。そうして司法修習60期生の研修の地として訪れたのが、前橋だった。彼女の運命は大きく変わり、県議を経て昨年、市長に当選。今度は自身が暴露報道を受けてしまい、今に至る。
このところ、秘事ばかり問い詰められる大ピンチ。「期待していたものとは少し違っていた」市長1期目だが、今も少林少女のように闘っているのである。


