松江からは小蒸気船で宍道湖を西へ向かう。狭く蒸し暑い船室に辟易(へきえき)したハーンは、甲板に座り景色を眺めていた。湖面からは水蒸気が雲のように湧きだして、出雲大社の方角にある山々が霞んで見える。そこに神々しいものが存在するように感じられた。

出雲大社の千家宮司は外国人のハーンを歓迎

船は1時間30分で宍道湖を横断し、出雲平野東端にある庄原(しょうばら)の波止場に接岸した。陽はすっかり傾き田圃(たんぼ)を赤く染めている。大社はここから20キロほど田圃の畦道(あぜみち)を行ったところにあり、人力車が門前町に着いた時にはもう日が暮れていた。この日は「いなば屋」という宿屋に泊まり、翌日に大社を参拝した。

「同日英国人ラフカヂオ・ヘルン通辨人真鍋晃大社参拝候。御当館ヘモ参殿、御家宝、御書院ニテ拝見許サル。正五位殿、管長殿、御面会、茶菓ヲ饗セラル」

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千家宮司邸日記にはこのように記録されている。大社の境内に足を踏み入れることができた外国人はごく少数、本殿への昇殿を許されたのはハーンが初だった。これだけでも栄誉だが、さらに、千家尊紀宮司と面談して茶菓の接待も受けている。宮司は若く精悍な人物だった。黒々とした髭(ひげ)をたくわえ、斎服を着た姿は威厳にあふれていた。その姿がハーンの目には古代の王侯貴族や英雄のように映ったという。

日本の文化には神道の影響が強いことを実感

「日本の最も古いこの土地で、民衆から千家に寄せられる深い尊敬の念や、彼が握っている大きな宗教的権威や、神々の血統を引くこの一族に、太古から連綿と受け継がれているその高貴さに思いが及ぶと、敬意というより畏怖(いふ)に近いものさえ感じた」(『新編 日本の面影』)

神道には、キリスト教やイスラム教のような教典もなければ、仏教のような哲学もない。「不可思議で空気のように捕らえることのできない存在」だと、頭で理解することは諦めている。しかし、日本の不可思議な迷信や呪術、素朴で味わい深い神話など、ハーンが興味を抱いているものすべてが、その根底には神道の影響があるように思われた。

頭では理解できないのだが、感じることはできる。また、その不思議なところが面白くて愛(いと)おしく思えてくるのだ。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。
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