独学で学んだ西田千太郎は流暢な英語を話した
中学校と同じ敷地に師範学校附属小学校と師範学校の校舎が並んであり、3つの学校の校舎間は渡り廊下で結ばれている。師範学校の授業も受け持っているハーンはいつもここを行き来した。どちらの職員室にもハーンの机が置かれていた。師範学校の職員室のほうが広くて明るく、清掃も行き届いて居心地は良さそうだったが、
「私は西田氏と並んで居る余り綺麗でなく而(しか)も寒い中学校の方の教員室に居るほうがもっとも気楽である」
と言う。
尋常中学校の西田教頭は流暢な英語を話し、また、中学校には他にも英語が堪能な教師が何人かいる。授業の合間や昼休みに彼らと談笑するのが楽しみだった。
松江に来てからのハーンは性格が少し変わったのか、気さくで話のしやすい感じになってきた。
西田の日記にも当時のハーンのことがよく書かれている。赴任から間もない9月28日には師範学校校長がハーンを宴席に招き、西田もそこに同席した。宴(うたげ)の席で聴いた清楽(しんがく)の合奏に感動したハーンは「ヘルン氏モ英仏二国ノ歌ヲ唱吟セリ」と、以前の彼からは想像できないノリの良さで歌を披露して宴を盛りあげている。
中学校では首席だったが中退、26歳で教頭に
この後も、県庁や学校関係などの宴席によく顔を見せた。人見知りで気難しい男が、変われば変わるものだ。
松江でのハーンが明るく社交的になったのは、いつも側で気にかけてくれた西田の存在も大きかった。本名は西田千太郎(せんたろう)。父祖は松江藩の足軽身分、文久2年(1862)に大橋川南岸の雑賀(さいか)町に生まれている。
中学校では首席の秀才だったが、授業料が払えずに中退。その後は授業助手として働きながら勉強に励み教員検定試験に合格した。兵庫県や香川県の中学校で教師として教鞭(きょうべん)を執り、2年前には松江に戻り尋常中学校の教頭になった。教頭就任時はまだ26歳の若者だったが、年齢を理由に反対する者はいない。頭脳明晰(めいせき)で誰もが認める逸材、そのうえ、裏表のない誠実な人柄は誰からも愛されていた。