加藤が歌うと民謡っぽくなっちゃうんだよ
―― テレビに出演するようになってからも、ジャズ喫茶の仕事は続いたんですか?
高木 そうよ、半分はジャズ喫茶の仕事だったもん。あのころは、ジャズ喫茶で飯が食えたから。『全員集合』がブームになってから、だんだん出られなくなったというのはあるけど、志村が入るまではやってましたね。
―― 最初のテレビ出演も『ホイホイ・ミュージック・スクール』という音楽バラエティですね。ディレクターが、日本テレビの白井荘也さん。
高木 あの方もバンドマンですよ。ピアノも上手い。休憩中によくジャズを弾いてくれてね。やっぱりミュージシャンの行く道というのは、単なるお笑い番組じゃない。音楽コントもあったしね。あの人がすごいのは、トリオ・ロス・パンチョスとかベニー・グッドマンとかが来日すると、必ず自分の番組に出演してもらうの。だから、僕らは近くで見ることができた。そういうところはすごく恵まれてましたね。
―― ドリフは、レコードもたくさん出してますが、軍歌や民謡のカヴァーが多いですね。
高木 そうそう。全部ほかの人の歌。でも加藤が歌うと民謡っぽくなっちゃうんだよ。福島出身だからかな(笑)。
人間にはそれぞれに役割があるんだよ
―― 高木さんは、ドリフの中での自分の立ち位置をどのように考えてましたか?
高木 昔書いた僕の本『第5の男 どこにでもいる僕』、このタイトル通り。どこにでもそういう人がいるんだよ。3人のトリオだって、必ず上中下がいるじゃない。たとえ1人が目立ってても、第2の男、第3の男がいるわけでね。人間にはそれぞれに役割があるんだよ。ドリフは5人だから、僕が第5の男。
―― ドリフのすごさは、全員が自分の役割を分かっていて、チームワークの笑いに徹していることのように思います。
高木 最初のころに、これからのドリフをどうしていくかミーティングしたんだよ。それで、加藤を中心にして、4人でバックアップしていこうって決まったの。でも、はっきりと形になったのは、『全員集合』のコントをやってる中でだろうな。『全員集合』も最初のころは全くウケなかったからね。
―― 走りながら分かってきたって感じですか?
高木 そうだね。僕らって体を張ってやるような笑いばっかりでしょ。僕はもちろんだけど、加藤や志村にしたって、喋りが上手いわけじゃない。そういうグループを動きだけで、あそこまでもっていったのは、長さんの力だよね。みんな、基礎はなかったけど、それなりに考えてここまでやってきた。