10月17日、『ウルトラマン』を世に送り出したことで知られるプロデューサー、演出家の飯島敏宏氏が亡くなって丸4年となった。映画監督の小中和哉氏は、飯島氏の薫陶を受けたひとり。もともとファンであったが、平成ウルトラマンの監督を務めるようになって、あらためて飯島氏の作り上げた「ウルトラマン」というフォーマットの素晴らしさを実感したという。

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「ウルトラマン」第1作のクランクインは3話一緒だった

 国民的人気ヒーロー・ウルトラマンは来年生誕60周年を迎える。第1作「ウルトラマン」(1966)の撮影は、第2話「侵略者を撃て」、第3話「科特隊出撃せよ」、第5話「ミロガンダの秘密」の3話を一緒に撮る3話持ちで始まった。その監督を務めたのが、飯島敏宏氏だ。飯島監督は時代劇からアクションものまで手掛ける娯楽派の演出家で、当時はTBSから円谷プロへ出向していた。

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 お茶の間に怪獣ブームを巻き起こした前作「ウルトラQ」は、内容的には怪獣に人間がどのように対処するかを描く「ゴジラ」など既成の怪獣映画のテレビ版と言っていいだろう。しかし「ウルトラマン」は、主人公自身が巨大ヒーローとなって怪獣と戦うという、それまでにない新しい展開が試みられた。

 以前にも月光仮面やスーパーマンなど等身大のヒーローは存在したが、巨大ヒーローものは前例がなかった。当時の円谷プロのスタッフたちが試行錯誤しながら企画を進めていたことは、ウルトラマンの初期デザインがカラス天狗のような怪獣人間だったことからも想像できる。飯島監督も手探りしながらの撮影だっただろう。

 完成した作品からは、そのような作り手たちの苦労は感じられない。ウルトラマンは大ブームを巻き起こし、現在も続く人気ヒーローであり続けている。

飯島敏宏氏

シリーズの枠組みを作り上げた飯島監督

 僕はウルトラマンに魅了されて自主映画を作り始めた。映画監督となってからは、ティガ、ダイナ、ガイア、メビウス、ネクサスなどの平成ウルトラマンの監督を務めたことで、作り手の立場から、初代ウルトラマンが確立した基本フォーマットの素晴らしさを実感することができた。