飯島監督は、最初に製作された3本を撮影する中で、科学特捜隊の雰囲気、登場人物の個性、変身シーンの演出など、シリーズの枠組みを作り上げた。

 ドラマ部分の撮影が終わり、同じスタッフで特撮の撮影を始めた初日、特撮班の的場徹監督は、「怪獣の殺陣師を呼んでくれ」と言い出したという。大映の特撮監督だった的場監督は着ぐるみ怪獣の演出経験がなく、ウルトラマンと怪獣の戦いを演出するのは殺陣師の仕事だと判断したらしい。その時、立ち会っていた飯島監督が「じゃあ、ボクがやろうか」と買って出て、特撮の演出にも関わったと、ウルトラマンのスーツアクターの古谷敏さんは著書に記している。あのスペシウム光線のポーズを考えたのも、飯島監督だったそうだ。

鶴川グローイングアップ映画祭ポスター

「心の師」から「本当の師匠」に

「ウルトラマン」の監督には他にも映像派の鬼才・実相寺昭雄監督など、個性豊かな監督がいるが、僕は飯島監督のファンだった。円谷プロ十周年記念映画『怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス』(1972)は人情喜劇と怪獣映画が合体した飯島演出全開の傑作で、僕が最も愛する映画だ。

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 飯島監督は僕にとって「心の師」だったが、飯島監督の劇場映画『ホームカミング』(2011)では監督補として飯島組に参加することができて、本当の師匠となった。

 飯島監督は、木下恵介プロダクションにTBSから出向して、「金曜日の妻たちへ」(1983)など数多くのヒットドラマを生み出した。「金曜日の妻たちへ」は、ニュータウンと呼ばれた東京郊外の新興住宅地で暮らし始めた若い夫婦たちを描いたドラマで、飯島監督自身が多摩地区にマイホームを建てて新しい生活を始めたことが反映されていた。『ホームカミング』はその街が高齢化した姿を描いた物語で、高田純次さん演じる主人公のモデルは、飯島監督自身だ。