「ぽっぽ、ぽぽぽ」というユニークな歌詞でも知られる『六本木~GIROPPON~』で、かつて一世を風靡した鼠先輩(52)。ブレイクから17年、「需要があればどこでも行く」という軽やかなフットワークと憎めないキャラクターを武器に、営業1本で家族を養い続けてきた。
それができたのは、一発屋として当てた「一発」の威力があまりにも絶大だったからだ。人生どこでどうなるかわからない――。そう感じさせる鼠先輩の数奇な人生に、ライターの吉河未布さんが迫った。
女遊びと借金がやめられない父親
鼠先輩は岡山の「ものすごく貧乏」な家庭で少年時代を過ごした。住んでいた団地の部屋には和室が2つしかなく、カラーテレビはなかった。苦しい家計を助けるため、母親が鼻の穴まで真っ黒にして真面目に工場で働く一方で、父親は女遊びと借金がやめられない人だったと振り返る。
「ダメダメ人間で、とにかくクソ。女好きで、女のところに入り浸る。酒の席では格好つけてばーって使って、ギャンブルもして、常に借金して……。俺と父親とその愛人で、何回も旅行に行った。俺が寝ている隣の部屋でヤってる声も丸聞こえだったよ」
中学時代には社会への反抗心を歌う「THE BLUE HEARTS」に憧れた。1週間だけ勉強して県立高校に進学するも、NHKのアマチュアバンドコンテスト『BSヤングバトル』の岡山大会で優勝したことをきっかけに中退。それから30歳までバンドで一旗揚げる夢を追い続けることになる。そんな中でも、父親の放蕩は続いていた。
「高校生の頃、家だけじゃなく祖母の家にも借金取りが来たことがある。200万円今週中に返せって、家にある金目のものを持って行かれたりしてね。俺もやんちゃだったから、俺と母親とで、父親がいる愛人の家に乗り込んで大暴れしたことも数え切れないほどある。母親は大変だったと思うけど、しょうがないですよね、そういう男を選んだわけだから」
「ぽぽぽ」で稼いだお金で父の借金を返済
30歳で一度バンドの夢を諦めた鼠先輩は、映像制作会社に就職。高校時代に出会った妻のために安定した仕事を始めたのも束の間、35歳の時に『六本木~GIROPPON~』で大ブレイク。一時は月収が1200万円にも上ったという。大金を手にした鼠先輩が行ったのは、確執が残る父との関係の清算だった。
「『六本木~GIROPPON~』が売れた時、俺は父親がつくった借金を全部清算して、『もう会いません』つってハンコ押した。絶縁だよ。だから2008年以降、1回も会ってないし、電話もしてない。一度、広島でワンマンイベントをやった時、楽屋まで来たみたいだけど、会いたくないって拒否した。会うつもりもない。恨みが消えることはないよね」
そして17年後、現在は土日祝日を中心に全国各地を営業でめぐる生活を続けている。忘年会シーズンの12月などは、休みがないぐらいパンパンに予定が埋まることもあるそうだ。鼠先輩は「テレビに出ることはほとんどなくなったけど、“ぽっぽ”だけで家族食わしてやってるよ」と笑う。
一発屋と一言にいっても、その後稼ぎ続けられる人とそうでない人がいるはずだ。途切れることなく求め続けられる理由を聞くと、こう教えてくれた。
「当たって天狗になった人は消えていくけど、そうじゃない人って一発でずっと飯が食えるんだよね、面白いですよね。ダンディ坂野さんだって『ゲッツ!』で家建ててるしね」
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鼠先輩が語る、『六本木~GIROPPON~』の知られざるバックストーリー、トレードマークのパンチパーマの秘密、ブレイク時に見た芸能界の裏側と時代の変化など、さらに詳しいインタビューの全文は、こちらのリンクからお読みいただけます。
#1『最高月収1200万→現在は「平日は酒飲んで寝てる」17年前に「ぽぽぽ」で当てた鼠先輩(52)が語る、“ずっと食える一発屋”の意外な特徴』
#2『「俺が寝ている隣の部屋で父親と愛人が…」一発屋・鼠先輩(52)が語る、「ぽぽぽ」で借金を返して絶縁した“クソ親父”との少年時代の記憶』
#3『「モデルの卵がいるよ」とホテルのVIPルームに誘われて…17年前「ぽぽぽ」で当ててブレイクした鼠先輩(52)が語る“芸能界の今と昔”』



