ぽっぽ、ぽぽぽというユニークな歌詞があることでも知られる『六本木~GIROPPON~』で「一発屋」となった鼠先輩(52)。岡山で生まれ、バンドで有名になりたいと大阪へ。世界をめぐるバックパッカー時代を経て、意外な出会いによりデビューした。数奇な運命の根底にあるのは、「今、自分がやりたいと思うことをする」という信念だ。(全3回の第2回/続きを読む

鼠先輩 ©石川啓次/文藝春秋

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女遊びが激しかった父親とは絶縁

――鼠先輩はどんな子供だったんですか。

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鼠先輩 家がものすごく貧乏でした。汚い団地で、和室と和室の2部屋。夏休みには同じ団地の友達と蟻食ったり、セミを煮て食べようとしたり。いつもお腹が空いてたな。友達のファミコンで遊ぶこともあったけど、白黒テレビだから、どっちがマリオかルイージか判別つかない(笑)。

 父親がダメダメ人間で、とにかくクソ。女好きで、女のところに入り浸る。酒の席では格好つけてばーって使って、ギャンブルもして、常に借金して……。

――お父さんの女性遊びは、子供の目にも明らかだったのでしょうか。

鼠先輩 俺と父親とその愛人で、何回も旅行に行ったことがあるもの。俺が寝ている隣の部屋でヤってる声も丸聞こえだったよ。

©石川啓次/文藝春秋

――お母さんはお父さんの女性関係も知って?

鼠先輩 もちろん知ってたよ。高校生の頃、家だけじゃなく祖母の家にも借金取りが来たことがある。200万円今週中に返せって、家にある金目のものを持って行かれたりしてね。俺もやんちゃだったから、俺と母親とで、父親がいる愛人の家に乗り込んで大暴れしたことも数え切れないほどある。

 父親がお金を入れないから、母親は鼻の穴が真っ黒になるぐらい工場で働いてくれていてね。大変だったと思うけど、しょうがないですよね、そういう男を選んだわけだから。今は父親と別居してるけど、保険の関係で籍はまだ入れたままだと思う。

 だから『六本木~GIROPPON~』が売れた時、俺は父親がつくった借金を全部清算して、「もう会いません」つってハンコ押した。絶縁だよ。だから2008年以降、1回も会ってないし、電話もしてない。一度、広島でワンマンイベントをやった時、楽屋まで来たみたいだけど、会いたくないって拒否した。会うつもりもない。恨みが消えることはないよね。