バックパッカーと夢追いは30歳までの「期間限定」

――高校中退後は、どんな生活を?

鼠先輩 バイト先で知り合って、15歳から付き合っていた3歳年上の彼女(現在の妻)が先に大阪に行っていたから、転がり込んだ。連絡は手紙とイエ電。年上だから、いろいろ厳しく言ってくれるのがよかったのかなあ。

 でも同棲生活は1年も経たずして終わり、バイトの清掃業で知り合った先輩と、それまで貯めた100万円を持ってバックパッカーの旅に出ちゃうの。まずはアメリカに渡って、その後メキシコに行って……。

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 バックパックがブームだったし、憧れもあった。世界へ音楽の勉強をしに行きたいなという思いもあった。でも途中で先輩が薬物に手を出して、警察に捕まってからは一人旅。エルサルバドルやホンジュラスを回って、出発から1年半ぐらいで一旦帰国して、今度は妻と2年ぐらいアジアを回った。インド、ネパール、タイ、ミャンマー、モンゴルとか、ぐるぐるして。インドなら1泊20円の宿で、一日朝昼晩食って500円ぐらい。一晩寝た馬小屋がホコリだらけで、妻が肺炎起こしたこともあったけど、アジア旅行がとにかく安い時代でした。

メキシコ放浪中、19歳の鼠先輩 本人提供

――海外で得たものはありましたか。

鼠先輩 よく、いい経験だねとか言われるんだけど、そうなのかなあ。正直、何してたんだろうなと思うよ(笑)。ただ、その時やりたいことに真剣になるというスタンスは今も昔も同じで、帰国後はバンドを真剣にやり始めた。売れるためなら何でもやる。ジャンルもこだわらず、やってみてダメだったら他に行けばいいというのが俺のスタンス。

 とはいえ当時20代後半だったから、夢を追うのは30歳までという約束を妻とした。妻はずっと子供欲しいって言ってたから、区切ったほうがいいなと思って。

 結局芽が出ないまま30歳になってバンドはスッパリ辞め、映像制作会社に就職しました。そこの社長も音楽好きだったから、一緒にいろいろやるなかで、『六本木~GIROPPON~』ができたんだよ。