体感温度が、平地に比べて確実に低い。標高の高い箱根でポーラ美術館をそぞろ歩けば、「避暑」という言葉のありがたさを実感できる。

 同館でこの夏に観ることができるのは、「ルドン ひらかれた夢 ー幻想の世紀末から現代へー」。19〜20世紀に数奇な生涯を歩んだ画家オディロン・ルドンの作品群に、ゆったり浸ってみたい。

内省的な「育ち」が画面に表れている

 1840年生まれのオディロン・ルドンは、《睡蓮》などでおなじみの印象派画家クロード・モネと同い年。モネのほうは1874年に「第1回印象派展」をルノワールらとともに開き、当初は理解を得られなかったものの、20世紀に入ってから巨匠としての扱いを受けるようになった。美術史に残した足跡も大きい。

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《眼をとじて》(部分)1900年以降 岐阜県美術館

 対してルドンはといえば、モネほど華やかな道を歩んではいないし、美術史上の存在感でも少々劣るのが実際のところ。本当はどの年代の作品も、観れば観るほどじわり染み出す味わいがあるのだけれど。

 なぜ作品も生涯もちょっと地味になってしまったのか。幼少期のルドンはフランス・ボルドーの外れ、彼が「ランド」と呼んだ荒地で育った。家庭の事情で、叔父の家へ里子に出されたのだった。病弱でもあったので、ひとっ気のない野原に寝転んで流れる雲を眺めたり、家の中の暗がりで長い時間を過ごした。

 11歳で父母の住むボルドーに移ったが、学校にはあまり馴染めず、内省的な性向はさらに定着していった。さらに長じて絵筆を持つようになったルドンが、荒涼とした光景を好んで描き、人物よりは樹木など、大自然に抗してすっくと立つ存在をモチーフに選ぶようになったのは不思議なことじゃない。

《Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた『起源』》1883年 岐阜県美術館
《蜘蛛》(部分)1887年 岐阜県美術館

 のちにルドンは版画技術を学び、多くのモノクロ作品も手がけるようになる。目玉の怪物のようにグロテスクな生きものを描くことが多かったのは、幼少のころから内面世界で遊び慣れており、想像の産物を表すほうが得意だったのかもしれない。