「少しは外交の役に立ったのかもね」
2017年に安倍さんがトランプさんとゴルフをした時、安倍さんがバンカーで転倒する映像がテレビで繰り返し流されたけれど、私は安倍さん流のパフォーマンスだったと思えて仕方がない。普段の安倍さんはゴルフ場で決してふざけたりなんかしないし、打つときの集中力は凄いからね。
トランプさんはハンデ1か2の腕前。私が使っているドライバーを貸すと『これはいい』と言って、プレー中はずっと使っていた。シャフトは彼には硬すぎるものだったから、私が柔らかいものに交換してあげると飛距離が伸びて、『オー、グッド!』と上機嫌だった。『アメリカに持って帰っていいか?』と言うから、どうぞと渡すと、安倍さんも『僕も欲しいな』と言う。虎のマークがついたテーラーメイド製のドライバーを2人に1本ずつ差し上げたら非常に喜んでくれたので、私も少しは外交の役に立ったのかもね(笑)。後日、安倍さんは私と妻、野田会長ご夫妻を夕食に招待してくれた」
〈青木が安倍とコースを回るのはこの時が初めてだったが、父の安倍晋太郎とはかつては年に2、3回、ゴルフを共にする仲だった。1984年、青木は南アフリカで行われた「ミリオンダラートーナメント」に参戦したが、出場には多くの壁が立ちはだかった。アパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていた南アフリカは国際社会と断絶し、日本とも一切国交がなく、青木の直訴を受けてビザを発給したのが当時の外務大臣、安倍晋太郎だった。〉
「アメリカで何度も一緒にコースを回ったゲイリー・プレイヤーに『日本から飛んで来い』と言われ、何としても行きたいと思った。プロである以上、招かれればどこにでも行くのが私の信条だからね。大臣室に直接行って安倍晋太郎さんに掛け合い、無理を言ってビザを発給してもらった。
当然、周囲には反対されたが、『ゴルフに国境はあるんですか?』と詰め寄る私の剣幕に晋太郎さんが根負けしたんだろうね。『しょうがねえや、パスポート出して』と言って、バーンと判子を押してくれたのをよく覚えている。
現地では、常にSPが同行する物々しい雰囲気の中でプレーをしたんだけど、最後まで危険な目には遭わずに済んだ。私が行ったおかげかどうかはわからないが、翌年、日本と南アフリカの交流制限は緩和されたんだよ」
※本記事の全文(約9000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(青木功「トランプさんに贈ったドライバー」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・日本男子初の世界殿堂入り
・「下りのパットは怖くないが……」
・会見で「少し休みたい」
・男子低迷と言われて
・トランプvs.安倍のラウンドに
・「オー、グッド!」
・安倍家とのご縁
・「90を切らせてくれ」
・ プロが80台は叩けない
◆青木功「山あり谷ありバンカーあり」
第1回 トランプさんに贈ったドライバー
第2回 ジャンボ、ありがとうな
第3回 世界4大ツアー優勝の鍵は体力・家族・鈍感力
