「そうか、そうか、あんたがニィサンの子供か」
種を抜いたメロンにレミーマルタンをドボドボと注ぎ入れ呑ませてくれた思い出も……。石原家長男・石原伸晃さんが今も忘れられない銀幕のスター「石原裕次郎と勝新太郎」と酒を酌み交わした夜とは? 石原慎太郎氏を父に持つ四兄弟(石原伸晃・良純・宏高・延啓)が、それぞれの視点から家族の記憶・想い出を綴ったエッセイ集『石原家の兄弟』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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裕次郎叔父と言えば酒とタバコ。
私が子供の頃、孝行息子の叔父は祖母光子に会いに月1回程度は我が家に顔を出していたので、私にとっては身近な存在だった。祖母と叔父がタバコをふかしながら酒を酌み交わしているのを眺めていると、
「おまえも早く大人になって一緒に呑もうな」と頭を撫でられた。
中学生の時だったか、叔父が忘れて行ったタバコをこっそりと失敬して隠れて吸ってみたがどうにも頂けない。次に会った時に、「タバコってそんなにおいしいの?」と尋ねると、祖母と顔を見合わせて、「本当においしいよねぇ」と目を細めていた。
その様な祖母も叔父が食事に殆ど手をつけないで酒ばかり呑んでいるのを見かねて「体に悪いから何か食べなさい」と言う。すると叔父は冷めたステーキを温め直させ、それをいかにも気が乗らない風に半分くらい口に運ぶのだった。
勝新太郎さんと飲んだ夜
私が高校3年生になって車の免許を取ると、叔父から度々成城の自宅に呑みに来るように、と誘いを受けた。当時はまき子叔母も酒席に良く付き合ってくれ、朝の4時、5時迄愉快に呑み騒いだ。
二十歳になると今度は外に呑みに連れて行ってくれる様になった。一番印象的だったのは勝新太郎さんと銀座のクラブでご一緒した時。
「そうか、そうか、あんたがニィサンの子供か」と歓迎してくれ、マスクメロンを一個持って来させ、自分で真半分に切り、種を抜いたそれにレミーマルタンをドボドボと注ぎ入れ呑ませてくれた。映画のスクリーンで見る正にその人そのままでブランデーの酔いと相まって現実感が薄れた一晩だった。
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