父・慎太郎、叔父・裕次郎――石原家を象徴する二人の巨星。その背中を近くで見つめてきた石原伸晃さんが語る、豪快で繊細な叔父の素顔。そして、政治家として歩み始めようとしたときに送られた“心強い言葉”とは――。
石原慎太郎氏を父に持つ四兄弟(石原伸晃・良純・宏高・延啓)が、それぞれの視点から家族の記憶・想い出を綴ったエッセイ集『石原家の兄弟』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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叔父は腕っぷし自慢で酔うと必ず腕相撲をしようと誘って来た。私も少林寺拳法をやっていたので然程弱いつもりはないのだが一度も勝てたためしがなく、「もっと強い奴はいないのか」と言われ、体育会の仲間達を連れて行ったりしたが、矢張り誰も勝つことは出来なかった。
「おまえあんなワリに合わない商売なんてやめとけよ」
そんなタフガイ裕次郎も私が社会人になった頃から様々な病魔に襲われ、調子の悪い日が増え、豪快さが薄れて行ってしまったのはとても淋しかった。
或る時、見舞いに訪れた私に、「おまえは将来どうするんだ?」と尋ねるので叶うことなら政治をやってみたい、と答えたところ、「バーカ。おまえあんなワリに合わない商売なんてやめとけよ」と言った。
それでも何度か同じ会話を繰り返すうちに、「よしわかった。俺が元気だったら応援に行ってやるから、おまえは一匹狼の兄貴の事を助けてやるんだぞ」と言ってくれた。
叔父が亡くなった2年半後に私は衆議院選挙に初出馬したが、その際、叔父を慕ってくださっていた石原プロや仲間の俳優さん方から沢山の応援を頂戴する事ができた。全て叔父の遺産だったと感謝している。
皆に愛された叔父は天からも愛され、早くに召されてしまったのかな、と私は思っている。

