紅白は観ず、除夜の鐘は“野球バット”で撞く――。石原慎太郎氏を父に持つ四兄弟がそれぞれの記憶をたどる『石原家の兄弟』(新潮社)から、知られざる「石原家のお正月」を描いた一編を紹介。型破りなのに不思議と温かい、石原家ならではの家族の時間とは?(全2回の1回目/後編を読む)
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知られざる「石原家のお正月」
友人のオーストリア人アーティストが大変な日本通で、話をしていると改めて日本について気づかされたことが何度かあった。彼は日本のお正月の「全てがリセットされる感覚」が素晴らしいと言う。師走の喧騒が大晦日で一段落して一夜明けるとシーンとした静寂が訪れる。彼曰く、これが一年の間に溜まった澱みを清める禊ぎの役割を果たしているのだそうだ。言われてみれば確かにそうかもしれない。
しかし、子供の頃の私にとってお正月三が日は、お年玉がもらえる以外は楽しみもなく、ひたすら退屈な3日間だった。
まずお節料理が美味しくない。釘煮、蒲鉾、栗きんとん以外に食べられるものがない。お雑煮も味が薄くて物足りない。いつもは家に居ない父が遅く起きてきて朝食になるわけだが、まず家族全員に自らお屠蘇を注いで飲ませられた。これがまた美味しくなかった。
娯楽がテレビしかない時代なのにお正月には面白い番組がない。その中で子供心に唯一の楽しみが「オールスター新春かくし芸大会」だったが、それも父がやって来て「キャッチボールをやろう」と誘われて中断してしまう。起死回生の変化が起きたのは東京12チャンネルが突然に萬屋錦之介主演の映画『宮本武蔵』五部作を放映した時以降だろう。父も書斎と行き来しながらチラチラと一緒に鑑賞した。「果たし合いから戻った武蔵の袖についた血を吉野太夫が『牡丹の花弁でございましょう』と言ってそっと拭き取るのが粋なんだよ」など時おり解説をつけてくれた。
その後に中学生になったのだからと半ば強制的に吉川英治の『宮本武蔵』全巻を読まされたのには閉口したけれども印象に残る正月の記憶だ。以後、サッカー天皇杯決勝戦、箱根駅伝と並んで12時間ドラマが格好の時間潰しとなった。
石原家の正月と問われて真っ先に思い起こすのが、中学生の頃に毎年家族全員で過ごした苗場プリンスホテルでの年越しだろう。最初の年は信じられないことにスキーをやるはずもない明治生まれの祖母まで一緒に出掛けた。そもそも誰がこの企画を言い出したのだろうか? 末っ子の私は知る由もなかったが、全てが新鮮な経験だった。
