すぐ上の兄と共に「絶対に一日券の元を取ろう」とリフト20本以上スキーを滑ったり、コブの深い上級者コースに必死でチャレンジしたり、専門店で初めてインスタントラーメン以外のラーメンを食べたりした。また、折角の家族旅行の企画者である父が、「俺は飽きたから帰る」と宣言して家族を放り出して途中で帰ってしまうキャラクターだということを初めて知った。
苗場滞在は色々なエピソードが思い起こされる。父がユニットバスに家の風呂の椅子と桶を持ち込んでバスタブの外で体を洗って浸水させてしまい苦情を受けたり、ホテルのディスコ(当時の苗場プリンスホテルにはディスコがあった)で◯番目の兄貴がお酒を飲み過ぎて二日酔いになり父親に怒られたりした。
スキー合宿で泊まった国民宿舎しか知らない中学生にとって、苗場プリンスホテルというのは初めて体験する高級ホテルで、家族と共にメインダイニングレストランで緊張しながら洋食を食べることでナイフやフォークの使い方や食事をしながらの会話の機微を学んだ。思えばこれ以降、父と食卓を共にすることが許されていった気がする。
野球バットで除夜の鐘
石原家の正月の基本は家族一緒に過ごすこと。テレビを観て年越し蕎麦を食べたりしながらグダグダと時間を過ごし(父が「NHK紅白歌合戦」を観ることは決してなかった)、「ゆく年くる年」を観ながら新年を迎える。ある年には突然父が「ウチでも除夜の鐘を撞くぞ」と言い出して、仲の良かった芸術家・岡本太郎さんから贈呈された角の生えた梵鐘の作品「歓喜」を野球のバットで撞いたりもした。
そんなこんなで新年になり挨拶を済ますと家族全員で法華経を読経し一年の家内安全を祈る。キチンとしているのか、ハチャメチャなのか、子供の頃はいつもよく分からない正月だった。
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