「死体をおとりにする」苦渋の作戦も

 北海道庁に通報が届いたのは事件から3日後の12月12日。官民一体となった討伐隊が編成され、死体をおとりにするという苦渋の作戦も試みられた。そして事件から6日後の14日、小平鬼鹿の名猟師・山本兵吉(58歳)がついにヒグマを射殺。3日間で延べ600人、犬10数頭、銃60丁を動員した大がかりな捜索がようやく終結した。

  凶暴化したヒグマの異常行動の真相は不明のままだが、この事件は冬眠前の飢えたヒグマの危険性を後世に伝える教訓となった。

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