愕然とした森田は、今度は制度を使わず、刑務所宛てに加害者に対してA4二枚ほどの手紙を書いた。文面は冷静で丁寧かつ、宛名に記した加害者の名前に「さん」をつけた。今後、機会があれば面会することも選択肢の一つだとも書いた。直接、謝罪や賠償について加害者本人の口から聞きたいからだ。自分の住所も明記した。
この10年弱の期間は私達にとって、本当に苦しい日々だった。これからも続いていくのかと思うとやり切れない。(中略)謝罪の意思があることは承知しましたが、本当にどれほどの思いで謝罪の気持ちがあるのかを今一度あなたに問いたいです。
次に賠償に関してです。私は現在77歳です。私には息子がいますが持病を抱えており働くこともできず、私の年金とアルバイトをしながら生活をしている状況です。この事件で裁判などの多額の費用を貯金から切り崩したうえ、親族などに借金するなどして捻出しました。日々の生活はかなり苦しい状況です。一日も早く賠償金を支払ってほしいのが私達の一番の思いです。正直なところ、あなたが出所後に働いて返すという事よりも、親や親族などに前借りをするなどしてでも一日も早く遺族に支払うことが私たちへの謝罪の意思を示すことになるのではないでしょうか。そして、あなたが出所後に親に返せばいいのではとも感じます。一日でも早い直接の謝罪と賠償金の支払いを求めます。(後略)
納骨ができないことも森田は記していた。具体的と思える謝罪も何もないから、その気持ちにすらなれない。「置いてけぼりにされていると感じています」とも書いた。そして「どうか私たちをこの苦しみから一日も早く解放してください」と結んだ。
私は一読して、被害者遺族が加害者に対して、苦しみから解放させてくれと懇願する筆致に言葉を失った。森田は、事件によって「生」が「苦」になり、その後の裁判の結果や、加害者の対応でついには絶望の淵に陥っている。これほどまでのことを被害者遺族に言わせてしまう現実とはなんと残酷なものなのか。
一ヵ月ほどして返信が来た。事件から10年経って初めて目にした加害者の「直筆」の文章だった。ただ、文章の内容はまたも簡素なもので、お詫びの言葉に加えて、体調が不安定なこと、報奨金(作業を行った受刑者に対し、出所後の生活資金の扶助として支給されるお金)の中から少しずつ支払っていきたいことなどがわずかに書かれているだけだった。
それでも心情等伝達制度によって、貝のように固く口を閉ざしていた加害者が、かすかながらでも行動を取り始めたのは事実なのかもしれない。森田は2025年6月、3回目になる心情等伝達制度の利用を行い、加害者への要請を込めた。
