「体と心の半分は、愛媛県民」

 城下町の面影を今も残す、愛媛県松山市。早苗の人生に大きな影響を与えた両親は、ともにここ松山市で育った。

 かつてテレビ愛媛の番組で、早苗はこう語っていたことがある。

「私の体と心の半分は、愛媛県民です」

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愛媛県松山市の眺め ©ANCHINGNOW/イメージマート

 ところが、これまで彼女が語ってきた半生の中に、愛媛県でのエピソードはあまりない。

 大休は7人きょうだいの次男である。その珍しい名前は、父の正亨が将来、大休を寺に養子に出そうと、僧侶をイメージして付けたという。

政治家嫌いの一家だった

 そんな大休の弟で、今も松山市内で暮らしているという早苗の叔父を訪ねた。市の中心部から車で30分ほどの田園地帯にポツンと建つ平屋の住宅で、庭の手入れをしていたのが高市俊介(84)だ。

「今は早苗とは特に連絡を取るようなこともないな。昔は、(早苗が当選した)お祝いのとき兄貴に電話して、『よかったのう』と言うだけのこと」

 そう話す俊介は、どこか早苗と顔の輪郭が似ているように見えた。連日報道で取り上げられていると話を振ると、意外なことを口にした。

「うちは、みんな政治家が嫌いでな。『政治家殺しても罪にならん』って言うくらい、誰も喜んでる者はおらん」

 世の中が、女性初の新総理誕生かと熱気を帯びる中、そんなことには全く興味がないといった表情だ。俊介は庭作業の手を止めて、こう話しはじめた。

「兄貴(大休)なんかも、わしに言うとった。あれ(大休)は糖尿やけん、よく散歩したり歩きよると、すれ違うみんなに頭下げないけんって。もう(奈良から私の)家に来るって言いよったよ。近所にいい家あったら探しといてくれ、言うてな。そんだけ身内に政治家好きな人は誰もおらん。早苗は松下政経塾に行ったから、ああなったんやろうけど」

 大休を含むきょうだい7人は、幼少期を松山市柳井町で過ごした。柳井町は現在、伊予鉄道の路面電車が停まる松山市駅近くの一帯にあたり、市の中心部だ。母親は大休が9歳の頃亡くなり、正亨が男手一つで7人の子どもを育て上げたという。

「うちのおやじは、湊町で呉服屋をしよった」

 そう俊介が続けた。湊町とは当時の自宅からほど近い地域である。