初の女性宰相となった高市早苗首相のルーツはどこにあるのか――。ノンフィクションライターの甚野博則氏が、幼少期や家族を知るために愛媛県松山市へと赴いた。
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「高市家や早苗さんについて話を聞かせてほしい」
愛媛県伊予郡松前(まさき)町。松山平野の西端、田畑と古い集落が入り混じる町だ。この町にある宗金寺(そうきんじ)という古刹を訪ねたのは、10月11日の午前6時半。静まり返った境内へ歩を進めると、敷き詰められた白い砂利が足元で鈍い音を立てた。
宗金寺の本堂が建立されたのは万治元年(1658年)とされ、真言宗豊山派に属する。
「どうぞお上がりください」
読経を終えたばかりの僧侶に、取材の趣旨を告げると大広間に通され、副住職(75)と向かい合った。
この前日、政界では公明党が自民党との連立解消を表明。自民党総裁に選出されたばかりの高市早苗(64)の動向に、国民の視線が一斉に集まっていた。高市は女性初の総理大臣になれるのだろうか――そんな声が日ごとに高まっていた頃である。
副住職は、目の前に置かれた茶を見つめながらこう話した。
「本音をいえば、何も今、火中の栗を拾わんでもと思います」
だが、その口ぶりには、僧侶としての思いやりだけでなく、別な意味も込められている。それは、宗金寺が愛媛県にルーツを持つ高市家の菩提寺であり、目の前の副住職は早苗の従兄という間柄でもあるからだ。
自民党の総裁選が決すると、各メディアは彼女の来歴を繰り返し紹介した。ただし取り上げられるエピソードは、どの報道も概ね似通っている。本人が多くの場で自らの過去を語ってきたからだ。自著や新聞、雑誌やテレビのインタビューで自らの歩みを赤裸々に披露してきた。
1961年3月、早苗は奈良県で生まれた。機械メーカーに勤める父・大休(だいきゅう、享年79)と、奈良県警に勤務していた母・和子(享年86)に育てられた。6歳下の弟・知嗣は早苗の秘書だ。幼少期は、父方の祖父も一緒に暮らしていた。小学生の時から勉強熱心で、ピアノや書道を習い、高校に進学すると、禁止されていたバイクで通学するという活発な面もあった。
神戸大学経営学部に進学後はヘビメタバンドでドラムを担当。長年の愛車はトヨタのスポーツカー・スープラで、X JAPANのYOSHIKIや、阪神タイガースの熱狂的なファン。
概ね、これが定型のエピソードだ。加えて、彼女が自身の過去を振り返る際に、度々クローズアップして見せるのが、両親の存在だ。
両親はしつけに厳しかったと複数のメディアで語っている。徹底して教えられたのは「他人に迷惑をかけない」「職業に貴賤はない」「他人の悪口を言わない」、そして「ご先祖様に感謝する」。幼いころには、両親から「教育勅語」を暗唱させられていたと、本人が都度紹介している。その両親もまた小学校に入る前から教育勅語の全文を暗記していたというから、時代を越えて受け継がれた“家訓”のようなものであったのかもしれない。
彼女が自ら私生活を語るとき、その根底には“家”がある。では、その家の起点はどこにあるのか。そして、どんな家が彼女を形づくったのか。

