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「うちの家柄はどこへ出しても恥ずかしくない」
「今で言う御木(みき)家、御木徳近というPL教団の創始者やな。親父が働いている店が、その御木家と繋がりのある呉服屋やった。わしもそこまで詳しいことは知らんねんけど、呉服屋がPLの身内やいうことは聞いとる。もう大昔やから今は(店は)ないけどな」
御木徳近の生まれは松山市だ。俊介によれば、高市家には歴史があり、正亨や子供たちは皆、能楽の観世流が演じる“謡”や“お仕舞”を習い、趣味としていたという。
「うちの家柄はどこへ出しても恥ずかしくない。なんぼ調べてもろても、立派なもんや」
俊介は胸を張る。その言葉に偽りはない。大休と俊介の祖父、つまり早苗の曾祖父にあたる高市轍(わだち)は、庄屋だった。(文中敬称略)
※本記事の全文(約10500字)は、月刊文藝春秋12月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(甚野博則×本誌取材班「家庭的な父と働く母の愛娘――親族が明かした高市家のヒストリー」)。
全文では、下記の内容をお読みいただけます。
・99点でも母に叱られた理由
・「母の期待は裏切った」と早苗は綴った
・「台所に立つ父」と重なる夫・山本拓
