瓦文化の発信をめざした矢先の震災
森山さんと雑貨店を営む吉澤潤さん(48)は同じ小松市に住む仲間だ。翌2024年3月に北陸新幹線が金沢から福井県に延伸され、小松にも停車することになっていたので「瓦文化を発信できるような土産物を作ろう」と話し合っていた。
というのも、石川県の瓦は両面に釉薬を塗る以外にも特徴があったからだ。地域によって瓦の色が黒と赤に分かれていたのである。能登瓦は釉薬にマンガンを使っていたので黒い。南部の加賀は鉄分が含まれていて赤い。「能登の黒瓦、加賀の赤瓦」と呼ばれてきた。そうした瓦文化を広めたいと考えたのだ。
ところが、能登半島地震が起きた。
金沢より南にある小松市は震度5強で済んだ。しかし、奥能登は最大震度7と想像を絶する惨状だった。
“瓦のせいで家が潰れた”と報じられた
森山さんの妻でアーティストの晴恵さん(52)は「毎日ニュースに映し出されたのは倒壊した家屋の黒い瓦屋根でした。そこに住まう人々を守ってきた瓦が、重さで家を潰した悪者と見られているようで、私達は居ても立ってもいられませんでした」と話す。
発災当初、「能登瓦が重くて家が倒壊した」とテレビなどが報じた。確かに屋根瓦が軽い方が地震には強い。しかし、家屋倒壊の原因が能登瓦にあるとする説には異論もあるようだ。
能登半島地震の震央は珠洲市で、軒並み家が倒壊した地区がいくつもある。泉谷満寿裕市長は復興計画の策定委員会で「瓦が悪者になっている。瓦が重いため1階部分が押し潰されたと思っている方も多くいらっしゃるが、新しい家は瓦でも大丈夫だった。耐震基準などの建築基準の問題であると思うし、瓦の町並みを残したい人も多くいる。瓦が悪者扱いされていることがたえられないという方もいる」と発言した。
市議会では「木造住宅の耐震性に詳しい京都大学の准教授は『重い屋根瓦でも現在の耐震基準を守っていれば倒壊を免れていて、1981年の建築基準法改正前に建てられた建物が倒壊や損壊しているとして、瓦屋根だから潰れたというのは違う』と指摘されている」と述べた議員もいた。
たった5人で始めた救出プロジェクト
これら珠洲市役所でのやりとりは別にして、森山夫妻と吉澤さんは「被災地のために何かしたい」と考え、2024年2月には瓦の形のチャリティバッジを作るなどして活動を始めた。
珠洲市を訪れた時に、地元の人とこんなやりとりがあった。
「もう石川県では瓦が製造されていない」と伝えると、「この瓦でないといけないんです。潮風も雪も厳しい土地だから、どうにかならないんですか」と言われた。「能登瓦は強く、あれほどの地震でも割れない瓦が多かった。能登の景色を作ってきた大切な瓦だからもったいない。何とかならないか」とも話していた。
これを受けて、森山夫妻と吉澤さんは「解体される建物から瓦を救出しよう」と決めた。地元の小松市で地域の魅力を活力に変えられるよう手伝うローカルシンクタンクを運営していた新道雄大さん(38)と瀬尾裕樹子さん(39)も加わり、5人で「瓦バンク」を結成した。2024年3月のことだ。


