試行錯誤の連続だった救出活動

 だが、救出すると言っても、具体的なやり方が分からなかった。潰れてしまった家なら屋根瓦の回収は比較的容易にできる。しかし、傾いた屋根には上がれない。足場を組むには何十万円もかかる。

家紋のついた瓦も集められていた。解体された家と家族の歴史を寂しげに物語る(救出した瓦のストック場)

 途方に暮れていた時、建築家の坂茂さんの事務所から「どんな活動をしているのか」と問い合わせがあった。坂さんは珠洲市で3年に1度行われている「奥能登国際芸術祭」に参加しており、多くの被災地の復旧・復興に関わってきた。能登瓦についても問題意識があったようだ。

「まだ全然進んでいないんですよ。助けて下さい」。森山さんと吉澤さんは正直に打ち明けた。

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「なんとか方法を探ろう」と協力して取り組むことになり、泉谷市長に助力を要請した。

 珠洲市で30年ほど前まで能登瓦を製造していた会社「矢野本家謹製瓦」にも相談した。同社は現在、屋根工事の会社になっており、「修繕工事で忙しくて加われない。ただし、協力する」と言ってくれた。救出した瓦のストック場として敷地を使わせてもらうことになった。

瓦のストック場。約30年前まで「能登瓦」を製造していた「矢野本家謹製瓦」の敷地の一角を借りている。集められた約2万枚の瓦の向こうに「能登瓦」を製造していた旧工場が見える。瓦はこの中のトンネル窯で焼成されていた

 2024年6月から実際の救出活動を始めたが、試行錯誤の連続だった。

「例えば、瓦は4枚1組にして結ぶのですが、結束方法が分かりませんでした。バンドをぐるっと巻いただけでは安定しません。途中から協力してくれた福井県越前市の瓦屋さんに十文字に巻く方法を学ぶなどしました」と吉澤さんは語る。

瓦をどう回収するか。最初は知識がなく四苦八苦した。ぐるっと一重にくくっただけでは安定が悪かった
ヒモを十文字にくくる方法を福井県越前市の瓦業者から学んだ。持ち運びや保管で安定するようになった(救出した瓦のストック場)

 次第に手慣れていき、2025年夏までに「2万5000枚~3万枚ぐらい救出できた」(吉澤さん)。既に再利用した事例もあり、現在のストックは約2万枚だ。

 そんな話を聞きながら珠洲市正院町に到着した。軒並み家が倒壊した地区だ。吉澤さんはその一角にある日蓮宗本住寺を訪れた時の衝撃を忘れられない。

「正院町では8割強が全壊でした」

 同寺は1559年創立といい由緒がある。建物は300年近く前の江戸時代に建築された古刹だ。

「本堂、庫裏、山門が倒壊し、発災から9カ月が経過したのに、手つかずのままでした」

解体で何もなくなった本住寺。シダレザクラがぽつんと残っていた。明治初期に植えられたと伝わる珠洲市天然記念物。樹高は約6m(珠洲市正院町)

 本住寺の苦難はそれだけではなかった。

 珠洲市では2020年12月から群発地震が発生しており、2023年5月5日には震度6強の揺れに見舞われた。正院町はこの地震でも被害が酷かった。本住寺も本堂が傾くなどしたほか、鐘楼堂が倒壊した。鐘楼堂の再建には2000万円以上がかかるという見積もりになり、費用の一部に充てようとクラウドファンディングを始めた。あろうことか、その途中でさらに激しい地震に襲われてしまった。

「正院町では8割強が全壊でした」。(だい)()哲正住職(71)は肩を落とす。

「檀家は9割が家を失いました。寺を建てましょうとはまだ言えない状態です」と話す大句哲正住職(珠洲市正院町、本住寺)

 大句住職の妻は倒壊した屋内に取り残され、負傷しながらはい出した。同じ日蓮宗の寺では家族が圧死した例もある。

 本住寺の本尊はかろうじて助かった。「長谷川等伯(安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した絵師。能登半島の七尾市出身)が描いた大曼陀羅の掛け軸です。耐火金庫に入れていたので無事でした。あとは礼拝所も全てなくなり、現在はテントを張って拝んでいる状態です」と、大句住職は嘆く。

 瓦バンクから能登瓦救出を打診された時には、「ぜひお願いします」と応じた。