通常より少しサイズが大きい「能登瓦」。裏表の両面に釉薬を塗り、高温で焼き締める黒瓦だ。寒さや塩害に強いだけでなく、能登半島地震で倒壊した家屋でも割れずに残った瓦が多い。頑丈なのだ。しかし、製造は30年ほど前に終了し、家屋の解体や修繕で瓦礫になれば、二度と使えない。
そこで、石川県小松市の鬼瓦職人(鬼師)ら5人が「瓦バンク」を結成し、「とにかく救出から始めよう」と回収を進めてきた。現在、約2万枚を保管している。
能登半島地震の公費解体は年内に終わる予定で、瓦の救出作業も一段落した。だが、再生利用する段階になって新たな課題が浮上した。(全2回の2回目/最初から読む)
能登瓦の再利用がむずかしい事情
「これからどう使っていくか試行錯誤しています。皆さんの知恵を貸してください」。瓦バンクの代表、森山茂雄さん(52)がメディアを招いたツアーでそう訴えていた。
理由はいくつかある。まず、2万枚の瓦といっても全てが同じではない。
能登瓦の製造が終わった後、能登半島では小松市で製造された瓦を使った。こちらも両面に釉薬が塗られていて強かったからだ。しかし、大きさが違った。能登瓦は49(しく)判といい、1坪(約3.3平方m)に使用する枚数が49枚だ。小松の瓦は通常の大きさで、1坪当たり53枚を使う53(ごさん)判である。そうした小松の瓦も最後の工場が2023年3月に廃業し、今となっては貴重品だ。
瓦バンクが被災地で救出した瓦には、能登瓦と小松の瓦の2種類が混在していた。交ぜて再利用するわけにはいかない。
加えて、瓦は種類が多かった。屋根全体に使う平瓦、軒に使う軒瓦、鬼瓦。屋根の端に使い、饅頭型のでっぱりがある万十瓦などもある。
一方、「小さい家だと2000~3000枚、大きいと5000~6000枚の瓦が必要になります」と瓦バンクのメンバー、吉澤潤さん(48)は話す。救出した瓦で建物を建てるのは簡単ではなかった。
では、能登瓦を一部に使うならどうか。吉澤さんは「公共施設で能登瓦を見せる形で使っていく方向も考えられます」と話す。
難しさはそれだけではない。被災者の側の問題もあった。和風建築で自宅を再建する人がどれくらいいるか。高齢化が進み、老夫婦の2人暮らしや独居が多かった奥能登では、「そもそも借金ができない」と話す人が多い。なのに物価の高騰で家屋の建設費用はぐんぐん上がっている。
これらを考え合わせた結果、建築物での再利用以外にも使い道を模索することにした。
能登瓦は能登半島の厳しい自然の中で暮してきた人々の知恵と工夫の結晶だ。しかも、被災してもなお美しい能登の自然と調和して独特の景観を作っている。「能登には黒瓦ならではの景色があったと伝えることで、瓦を軸にして文化や心の復興のお手伝いをしていきたい」(吉澤さん)と考えるようになっていった。
当面はアートとツアーで道を探る。
まず、アートだ。


