被災瓦を再利用したアート作品
瓦バンクは2025年11月11日~12月16日、珠洲市の銭湯「海浜あみだ湯」で展覧会を開いている。
展示内容の説明に移る前に、「海浜あみだ湯」について記しておきたい。この銭湯は被災後の珠洲市にとって、なくてはならない存在だった。運営責任者の新谷健太さん(33)が語る。
「1988年に建てられた銭湯です。僕は2017年に移住してきて、ゲストハウスを経営するなどしてきました。まちの困り事を引き受けたりしていたのですが、2023年頃に高齢化したあみだ湯の先代オーナーから『引き継いでくれないか』と相談がありました。4~5人の仲間で経営状態や運営方法などを調べて、ようやくメドが立ち、本格的に引き継ごうとしていた矢先に地震が起きました。
仲間は僕も含めて全員が住まいを失いました。避難所生活をしていた時、水道の復旧は『1カ月や2カ月という次元じゃない。半年以上かかるかもしれない』と聞きました。避難所では衛生問題が発生していて、『あみだ湯を再開したい』と考えました。僕ら自身の生活もままならない状態でしたが、できることはそれぐらいしかありませんでした」
「海浜あみだ湯」は目の前に海が広がる。能登半島地震では津波被害にもさらされた。が、ボイラーはギリギリで浸水を免れた。水源も地下水だったので、配管を直せばなんとかなった。
「2024年1月19日に営業を再開しました。1日平均で450人ぐらいのお客さんが来ました。最大620人。普段は100人いったらいい方だったのに、6倍以上が入浴しました」
そうした銭湯で能登瓦のアートを展示する。
主催は瓦バンクだが、国立工芸館(金沢市)の元特定研究員、石川嵩紘さん(40)が企画した。展覧会のタイトルは「アウトサイド」。石川さんがその意味を解説する。
「私は震災前に金沢へ移住してきました。出展した6人の作家も外部の人間です。災害が起きた瞬間の恐怖。たくさんの方の犠牲。被災地に何度足を運んでも分かり得ない面もあります。
アウトサイドには三つの意味があります。そうした外部の人間であること。被災地の奥能登は中央から離れていること。さらに能登瓦は屋外で建物を守ってきたということ。現在、能登半島地震への関心はどんどん薄れています。これからを考えた時、外部から関心持ってもらうことがすごく大事だと思います」
6人の作家が出展した。
能登瓦アートに込めた想い
石川県を拠点に活動する現代美術家の山本基さんは、瓦に白いアクリル絵の具で迷路のような細い線を描いた。
山本さんは3年に1度、珠洲市で開催されてきた「奥能登国際芸術祭」に2023年出展した。旧保育所の室内に塩をブロックなどにして積み上げた作品で、閉会後も常設展示されていた。
作品は能登半島地震で倒壊してしまったが、「地震を忘れないために」と修復しない方針だ。破片をアクセサリーにする参加体験型のワークショップを続けている。旧保育所には「大切な思い出へとつながるための道」として線が描いてあり、今回は「その先につながるよう、人々の暮らしを支えてきた能登瓦に描きました」と自身のHPに作意を説明している。




