海外アーティストの作品をめぐる
地震を生き延びた能登の黒瓦は太陽に照らされて輝く。青い海の輝きと重なり合うようにして見えた時の美しさについては、バスで移動中、吉澤さんが何度も口にしていた。確かにその通りだった。
「能登半島では里山、里海、そして黒瓦が一体となって特有の景観を作ってきました。でも、黒瓦の家は解体が進み、もう絶対に以前と同じにはなりません。まちは変わっていくでしょう。私達はここに人々の営みが生んだ美しい景色があったことを伝えていきたいと思っています」と吉澤さんは力を込める。
珠洲市では3年に1度、奥能登国際芸術祭が催されている。2026年に開かれる予定だったが中止になった。このため次回は2029年になる。
展示は会期中だけではない。閉会後も常設展示されている作品が能登半島地震前は23(屋外15、屋内8)あった。被災で14(屋外10、屋内4)に減ったものの、屋外の10作品はいつでも見られる。
ツアーではそのうち『家のささやき』を訪れた。珠洲市を代表する海水浴場・鉢ヶ崎海岸に設けられた作品で、台湾の現代アーティスト集団「ラグジュアリー・ロジコ(豪華朗機工)」が能登の黒瓦を520枚集めて制作した。三角形の屋根状の構造物に瓦が等間隔に配置されている。強い能登瓦だけに地震の揺れでは損壊せず、津波に下部が呑まれても瓦に被害はなかった。
作家は「家は記憶を集めるエネルギーの象徴」と考えていて、「この地を離れた人々が、再び戻ってくるように」と願いを込めた。
黒瓦は復興にとって大きな財産
現在の珠洲市はそうした問題意識をさらに強く持たざるを得ない状況にある。同市の住民基本台帳人口は2025年10月31日時点で1万559人。人口流出は2024年1月1日の地震と同年9月21日の豪雨災害を契機に一段と激しくなり、被災前から2000人ほど減った。
もはや住むべき理由がない土地なのか。そうではあるまい。たとえ自然が厳しくとも、人々は瓦の両面に釉薬を塗ってまで共存してきた。そして「能登はやさしや土までも」と言われるほど人情深い地域を作り上げた。能登ならではの価値は、人が住むことで生まれたのだ。瓦はその象徴のような存在だからこそ、無骨で真っ黒なのに、光り輝いて見える。
「地元の私達は見慣れているせいか、能登瓦の美しさに気がつきませんが、奥能登国際芸術祭で珠洲へ訪れた人は、日光を浴びて艶やかに照り返る光沢感のある家々の黒瓦を見て、口々に驚きの声を発しました」。
被災後の珠洲市議会ではこんな発言をした議員もいる。失われつつあるからこそ見えてきた魅力かもしれない。逆に言えば、黒瓦は奥能登の復興にとって大きな財産になる可能性を秘めている。
世の関心が薄れ、「見捨てられたような気がする」と話す人が増えている奥能登。
瓦を通したアウトサイドからの魅力の再発見と発信は、被災後も地元で踏ん張って生きていこうとしている人々の誇りや活力につながるだろうか。瓦バンクでは教育関連のツアーなどから呼び込んでいこうと考えている。
撮影=葉上太郎
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